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> 波切城
波切城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 戦国時代に活躍した水軍のなかでも特に強大な勢力を誇った水軍の一つ、九鬼水軍を率いた九鬼氏の居城。 九鬼氏は初め紀伊の九木浦(九鬼浦)を本拠地としていたが、隆良の代に志摩に進出し、波切に拠点を移した。 当時波切は川面氏が治めていたが隆良はその養子となって波切城主となり、以後[[鳥羽城]]に移るまで九鬼氏が居城とした。 波切城は大王埼灯台で有名な、志摩半島の南東端に位置する大王崎に築かれ、海岸段丘に守られる天然の要害だった。 九鬼氏は伊勢北畠氏に仕えていたが、江戸時代の軍記物などで「海賊大名」の異名で呼ばれた九鬼嘉隆は織田信長に仕えて勢力を拡大し、志摩を平定した。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ その後、九鬼氏は九鬼水軍を率いて各海域を転戦した。天正4年(1576年)には[[石山本願寺>石山御坊]]に兵糧を運び込もうとする毛利氏の村上水軍・雑賀衆の水軍との間で第一次木津川口の戦いが起こったが、これに大敗してしまう。 嘉隆は新たに鉄甲船を建造して戦力を強化し、2年後の第二次木津川口の戦いでは村上水軍・雑賀水軍に大勝した。 毛利氏の[[広島城]]が「波切城に邪魔されん内に、はよ出陣しようか!」と言っているのは、この時の苦い経験からだろう。 #br 本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、九州征伐や小田原征伐、文禄・慶長の役でも活躍し、九鬼水軍の名は全国に轟くことになる。 嘉隆は文禄3年(1594年)に鳥羽城を築いて居城を移し、波切城は廃城になったと思われる。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|三重県志摩市大王町波切| |現存状態|石垣など| |城郭構造|平山城(水城)| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 戦国時代に活躍した水軍のなかでも特に強大な勢力を誇った水軍の一つ、九鬼水軍を率いた九鬼氏の居城。 九鬼氏は初め紀伊の九木浦(九鬼浦)を本拠地としていたが、隆良の代に志摩に進出し、波切に拠点を移した。 当時波切は川面氏が治めていたが隆良はその養子となって波切城主となり、以後[[鳥羽城]]に移るまで九鬼氏が居城とした。 波切城は大王埼灯台で有名な、志摩半島の南東端に位置する大王崎に築かれ、海岸段丘に守られる天然の要害だった。 九鬼氏は伊勢北畠氏に仕えていたが、江戸時代の軍記物などで「海賊大名」の異名で呼ばれた九鬼嘉隆は織田信長に仕えて勢力を拡大し、志摩を平定した。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ その後、九鬼氏は九鬼水軍を率いて各海域を転戦した。天正4年(1576年)には[[石山本願寺>石山御坊]]に兵糧を運び込もうとする毛利氏の村上水軍・雑賀衆の水軍との間で第一次木津川口の戦いが起こったが、これに大敗してしまう。 嘉隆は新たに鉄甲船を建造して戦力を強化し、2年後の第二次木津川口の戦いでは村上水軍・雑賀水軍に大勝した。 毛利氏の[[広島城]]が「波切城に邪魔されん内に、はよ出陣しようか!」と言っているのは、この時の苦い経験からだろう。 #br 本能寺の変後は豊臣秀吉に仕え、九州征伐や小田原征伐、文禄・慶長の役でも活躍し、九鬼水軍の名は全国に轟くことになる。 嘉隆は文禄3年(1594年)に鳥羽城を築いて居城を移し、波切城は廃城になったと思われる。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|三重県志摩市大王町波切| |現存状態|石垣など| |城郭構造|平山城(水城)| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)