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> 昼寝城
昼寝城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 室町時代後期、寒川郡の郡司を務めた寒川氏はこれを本城とし、虎丸城、[[引田城]]を支城にしたという。 大永3年(1523年)には寒川郡内の境界争いをきっかけに雨滝城主・安富盛方が侵攻したが、寒川元政はこれを破って塩ノ木に追撃した。(塩ノ木合戦) その後、三好氏に属する十河氏と対立し、昼寝城、池内城が攻められそうになったが、元政はやはり撃退に成功した。 しかし、このとき負傷した十河一存は何事もなかったかのように悠々と引き上げたために「鬼十河」の異名を得たともいう。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ いずれにせよ、第34代室町幕府管領・細川晴元により和睦が命じられたが、盛方はこれに従わず池内城を奪取した。 これにより元政は昼寝城に退き、盛方により兵糧攻めに遭ったが落城せず退けた。 その後、昼寝城は三好長治にも二度攻められているが、やはり落城せず「昼寝をしていても落城しない」ほどの堅城であることを知らしめたという。 なお天正3年(1575年)には長治の要請により出陣した海部氏により落城したとの伝説もあるが、ともあれこの頃には廃城となり、寒川氏は長宗我部元親の侵攻により衰退していった。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|香川県さぬき市多和| |現存状態|土塁、曲輪、堀切| |城郭構造|山城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 室町時代後期、寒川郡の郡司を務めた寒川氏はこれを本城とし、虎丸城、[[引田城]]を支城にしたという。 大永3年(1523年)には寒川郡内の境界争いをきっかけに雨滝城主・安富盛方が侵攻したが、寒川元政はこれを破って塩ノ木に追撃した。(塩ノ木合戦) その後、三好氏に属する十河氏と対立し、昼寝城、池内城が攻められそうになったが、元政はやはり撃退に成功した。 しかし、このとき負傷した十河一存は何事もなかったかのように悠々と引き上げたために「鬼十河」の異名を得たともいう。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ いずれにせよ、第34代室町幕府管領・細川晴元により和睦が命じられたが、盛方はこれに従わず池内城を奪取した。 これにより元政は昼寝城に退き、盛方により兵糧攻めに遭ったが落城せず退けた。 その後、昼寝城は三好長治にも二度攻められているが、やはり落城せず「昼寝をしていても落城しない」ほどの堅城であることを知らしめたという。 なお天正3年(1575年)には長治の要請により出陣した海部氏により落城したとの伝説もあるが、ともあれこの頃には廃城となり、寒川氏は長宗我部元親の侵攻により衰退していった。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|香川県さぬき市多和| |現存状態|土塁、曲輪、堀切| |城郭構造|山城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)