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ポートチェスター城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) イギリス海軍の根拠地として知られるポーツマス湾の北奥に建つ城。海軍と密接な関係がある水城でもある。 Portus Adurniと呼ばれるローマ軍駐屯地として280年ころに沿岸防衛のために建設され、[[ドーヴァー城]]と同様クラッシス・ブリタンニカ(ブリタニア駐留艦隊)の基地としても使われた。 城地を囲む外城壁はその当時のものとそれを改修したものであり、ローマ様式の城壁の形が今に残る。アルプス以北のローマ軍駐屯地(ローマンフォート)として、またイギリス国内のローマンフォートに限らないローマ時代の建築物としても、最も完璧にその姿を残している。 のちにイングランド王家の城となり、イングランド最大の軍港ポーツマスの有力な防衛拠点のひとつとなった。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 5世紀にはローマ人がブリテン島から撤退し、駐屯地としての城も放棄される。 その後は10世紀初頭のアングロ・サクソン王国のエドワード長兄王によってヴァイキングに備えるために改修された記録がある。 ウィリアム1世によるノルマン・コンクエストののち、ポートチェスター一帯はウィリアム・モーディトに下げ渡される。ポートチェスター城を居城として矩形キープ(主城塔)を持つ城に改修したのはこのモーディト一族のうちの誰かであると思われるが、定かではない。 城は12世紀半ばにヘンリー2世によって接収され、以降王家の所有となる。ヘンリー2世はこの城がお気に入りだったのか定期的に訪れており、王のための居住棟が主城塔とは別に新設された。 防御面ではあまり手を入れられていなかったが、13世紀から14世紀にかけてフランスの侵攻に対応するため&フランスへの出撃拠点として用いるために、断続的かつ大規模に修繕・改修された。主郭の建物はこのときに大きく改築されていると考えられている。 またローマ時代からの城壁塔(形からD形塔と呼ばれる)とは別に防御用の塔や城門塔が増設された。 #br 15世紀以降は次第にポートチェスター城の重要性は低下していき、17世紀初頭の英西戦争期に一時使われた以外は軍事拠点としてよりも賓客を迎える離宮や戦時の病院として、また17世紀後半以降は戦時捕虜を収容する牢獄として使われるようになった。 現在はイングリッシュ・ヘリテージの管理下に入って公開されている。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|イングランド、ハンプシャー州ポートチェスター| |現存状態|城壁、城塔、城館| |城郭構造|平城| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 城壁は高さ6メートル幅3メートルに達し、1辺が約180~190メートルのほぼ正方形に城地を囲んでいる。城壁の外側には堀が掘られ、東側と南側は海。 城地は9エーカーの広さを持つ。内部には十字に道が敷かれていて城地を四分割していた(が、南北の道は失われている)。 後代にはそのうちの南東部分がセント・メアリ教会とその墓地の敷地に、北西部分がポートチェスター城の主郭になった。 道路と城壁がぶつかる東西南北の各地点に城門があったが、そのうち南北は通用門で東西が主門。東門はそのまま海に出られる。 主郭は城地の一角を堀で区切った中を城壁と城館で囲み、その四隅に塔を持つ。南側に主城門があり、おそらく跳ね橋で内外を連絡していた。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) イギリス海軍の根拠地として知られるポーツマス湾の北奥に建つ城。海軍と密接な関係がある水城でもある。 Portus Adurniと呼ばれるローマ軍駐屯地として280年ころに沿岸防衛のために建設され、[[ドーヴァー城]]と同様クラッシス・ブリタンニカ(ブリタニア駐留艦隊)の基地としても使われた。 城地を囲む外城壁はその当時のものとそれを改修したものであり、ローマ様式の城壁の形が今に残る。アルプス以北のローマ軍駐屯地(ローマンフォート)として、またイギリス国内のローマンフォートに限らないローマ時代の建築物としても、最も完璧にその姿を残している。 のちにイングランド王家の城となり、イングランド最大の軍港ポーツマスの有力な防衛拠点のひとつとなった。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 5世紀にはローマ人がブリテン島から撤退し、駐屯地としての城も放棄される。 その後は10世紀初頭のアングロ・サクソン王国のエドワード長兄王によってヴァイキングに備えるために改修された記録がある。 ウィリアム1世によるノルマン・コンクエストののち、ポートチェスター一帯はウィリアム・モーディトに下げ渡される。ポートチェスター城を居城として矩形キープ(主城塔)を持つ城に改修したのはこのモーディト一族のうちの誰かであると思われるが、定かではない。 城は12世紀半ばにヘンリー2世によって接収され、以降王家の所有となる。ヘンリー2世はこの城がお気に入りだったのか定期的に訪れており、王のための居住棟が主城塔とは別に新設された。 防御面ではあまり手を入れられていなかったが、13世紀から14世紀にかけてフランスの侵攻に対応するため&フランスへの出撃拠点として用いるために、断続的かつ大規模に修繕・改修された。主郭の建物はこのときに大きく改築されていると考えられている。 またローマ時代からの城壁塔(形からD形塔と呼ばれる)とは別に防御用の塔や城門塔が増設された。 #br 15世紀以降は次第にポートチェスター城の重要性は低下していき、17世紀初頭の英西戦争期に一時使われた以外は軍事拠点としてよりも賓客を迎える離宮や戦時の病院として、また17世紀後半以降は戦時捕虜を収容する牢獄として使われるようになった。 現在はイングリッシュ・ヘリテージの管理下に入って公開されている。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|イングランド、ハンプシャー州ポートチェスター| |現存状態|城壁、城塔、城館| |城郭構造|平城| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 城壁は高さ6メートル幅3メートルに達し、1辺が約180~190メートルのほぼ正方形に城地を囲んでいる。城壁の外側には堀が掘られ、東側と南側は海。 城地は9エーカーの広さを持つ。内部には十字に道が敷かれていて城地を四分割していた(が、南北の道は失われている)。 後代にはそのうちの南東部分がセント・メアリ教会とその墓地の敷地に、北西部分がポートチェスター城の主郭になった。 道路と城壁がぶつかる東西南北の各地点に城門があったが、そのうち南北は通用門で東西が主門。東門はそのまま海に出られる。 主郭は城地の一角を堀で区切った中を城壁と城館で囲み、その四隅に塔を持つ。南側に主城門があり、おそらく跳ね橋で内外を連絡していた。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)