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> ダンスタンバラ城
ダンスタンバラ城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 北海に突き出した岬の部分に建つ城。ノーサンバーランド地方で最大の面積を持つ城……だったが詳細は後述。 [[ダノター城]]、[[スカーバラ城]]といった似たような立地の城と同様に岬そのものが城。現在も岬を囲むように城壁の痕跡が見られる。 鉄器時代のヒルフォートが存在していた場所に、1313年から1322年の間にランカスター伯トマスによって建造されたもの。 ランカスター伯トマスは当時の有力貴族の一人であり、その財力で建設資材を海外各地から輸入した。 城の最大の特徴はキープを兼ねた「グレートゲートハウス」と通称される他に類を見ない巨大な主城門塔で、元は全高24メートルほどあったと思われる。城門塔を設計したマスター・エリアスは[[コンウィ城]]の建設にも関わっていた。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 1380年代にランカスター公ジョン・オブ・ゴーント(トマスの弟の孫娘の婿)がこれとは別に城門を作り防衛を強化した。 15世紀の薔薇戦争ではランカスター派が籠城。数回の争奪戦の果てに[[ウォリック>ウォリック城]]伯が大砲を撃ち込んで降伏させている。 スコットランドの攻撃に備えてという名目で(その実国内の反乱の際に避難所としても使えるように)築かれた城だったが実際には他の拠点から孤立した立地であり、進軍路となる街道筋でもないためスコットランド軍の重要な目標となることはなく、16世紀前半には廃墟と化す。 やがてスコットランドとの関係が安定してくると完全に存在価値を失い、王家の手を離れて売却された。 その後複数の所有者の間を転々とし現在はナショナル・トラストが所有している。ただし管理運営はイングリッシュ・ヘリテージが行っている。 18・19世紀にはその佇まいが画家や詩人を惹きつけ、題材に取り上げられた。20世紀には隣接してゴルフコースが建設された。 また第二次大戦中にはドイツ軍の上陸を警戒してトーチカや対戦車壕、地雷原が設置され陸軍の分遣隊が駐屯していた。この当時のトーチカは現存し公開されている。 #br 陸側は自然の湧き水を利用した溜め池で防御されていた。その内側に土塁が築かれ、これが城の最外縁を形成している。 更に内側に城壁で囲まれた主郭があり、ここに前述の主城門塔が建つ。 城壁の内側だけでもおよそ10エーカー(約4ヘクタール)もの広さがあり、周辺の農民の戦時の避難所としても使えたとされる。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|イングランド、ノーサンバーランド、ダンスタンバラ| |現存状態|城壁、城塔| |城郭構造|岬城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 北海に突き出した岬の部分に建つ城。ノーサンバーランド地方で最大の面積を持つ城……だったが詳細は後述。 [[ダノター城]]、[[スカーバラ城]]といった似たような立地の城と同様に岬そのものが城。現在も岬を囲むように城壁の痕跡が見られる。 鉄器時代のヒルフォートが存在していた場所に、1313年から1322年の間にランカスター伯トマスによって建造されたもの。 ランカスター伯トマスは当時の有力貴族の一人であり、その財力で建設資材を海外各地から輸入した。 城の最大の特徴はキープを兼ねた「グレートゲートハウス」と通称される他に類を見ない巨大な主城門塔で、元は全高24メートルほどあったと思われる。城門塔を設計したマスター・エリアスは[[コンウィ城]]の建設にも関わっていた。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 1380年代にランカスター公ジョン・オブ・ゴーント(トマスの弟の孫娘の婿)がこれとは別に城門を作り防衛を強化した。 15世紀の薔薇戦争ではランカスター派が籠城。数回の争奪戦の果てに[[ウォリック>ウォリック城]]伯が大砲を撃ち込んで降伏させている。 スコットランドの攻撃に備えてという名目で(その実国内の反乱の際に避難所としても使えるように)築かれた城だったが実際には他の拠点から孤立した立地であり、進軍路となる街道筋でもないためスコットランド軍の重要な目標となることはなく、16世紀前半には廃墟と化す。 やがてスコットランドとの関係が安定してくると完全に存在価値を失い、王家の手を離れて売却された。 その後複数の所有者の間を転々とし現在はナショナル・トラストが所有している。ただし管理運営はイングリッシュ・ヘリテージが行っている。 18・19世紀にはその佇まいが画家や詩人を惹きつけ、題材に取り上げられた。20世紀には隣接してゴルフコースが建設された。 また第二次大戦中にはドイツ軍の上陸を警戒してトーチカや対戦車壕、地雷原が設置され陸軍の分遣隊が駐屯していた。この当時のトーチカは現存し公開されている。 #br 陸側は自然の湧き水を利用した溜め池で防御されていた。その内側に土塁が築かれ、これが城の最外縁を形成している。 更に内側に城壁で囲まれた主郭があり、ここに前述の主城門塔が建つ。 城壁の内側だけでもおよそ10エーカー(約4ヘクタール)もの広さがあり、周辺の農民の戦時の避難所としても使えたとされる。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|イングランド、ノーサンバーランド、ダンスタンバラ| |現存状態|城壁、城塔| |城郭構造|岬城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)