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> スクーン宮殿
スクーン宮殿
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) スコットランド王国の前身アルバ王国時代からの古都。歴代スコットランド王が「スクーンの石」の上で戴冠式を挙げた土地に建つ宮殿である。 ただし、スクーンにあった歴史上の宮殿と現代建っているスクーン宮殿は同じものではない。 現在の宮殿は元の宮殿が失われたのちにマンスフィールド伯爵の居館として建設されたものである。 #br パース地域は「スコットランドの心臓」とも呼ばれる重要な交通の拠点であり、12世紀にはスクーンはスコットランドの首都の一つだった。 都の一つだった、というのは当時の王は定期的に国内の城を移動しており、そのたびに宮廷も丸ごと移動していたからである。 [[エディンバラ城]]や[[スターリング城]]をはじめ、そのほかリンリスゴーなど王家所有の城も同様に王がいるときのみ王宮として用いられていた。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 12世紀前期、アレグザンダー1世によってスクーンの王宮内に修道院が建立され勢力を拡大する。この修道院が宮殿としても使われた。 スクーンの石は1296年にイングランドに略奪されたが、その後もスコットランド王の戴冠式はスクーンの「戴冠の丘」で行われた。 スクーンで戴冠しなかった王は幼少のためにスクーンまで来られなかったジェームズ2世やメアリー女王など少数だった。 13世紀から15世紀にかけてはイングランドに近いエディンバラやスターリングを避けて王宮の機能が集約されており、議会も開かれた。 政治・宗教的な拠点となったスクーン周辺に対して、その南側に商業拠点としてパースの町が発展した。 #br 16世紀のスコットランドの宗教改革でスクーンの修道院は放火・破壊され宮殿としての機能をほぼ失い、修道院も16世紀末には閉鎖された。 その後17世紀初頭にスクーン卿(のちマンスフィールド伯爵)マレー家に与えられ、現代も一帯はマレー家が所有している。 最後に戴冠の丘で戴冠式を行ったのは1651年に即位したチャールズ2世であった。 かつてのスクーン修道院(兼宮殿)の場所は長らく不詳だったが、2007年に磁気探査によって特定された。調査によって、修道院はそれまで想像されていたものよりも大きかったことが判明した。 #br 現在の宮殿は1808年に3代マンスフィールド伯が建築家ウィリアム・アトキンソンに依頼しネオゴシック様式で建築されたもの。 その際屋敷地を広げるために近くの村を丸ごと移住させた。現在宮殿から2マイル弱東にあるスクーンの村はそのとき移住したものである。移転した村の跡地にはマーケットクロス((町や村の中心部、市場が開かれていた場所に立てられた石造りの十字架のモニュメント))が今も建っている。 宮殿内には歴代マンスフィールド伯爵の収集したアンティーク家具・時計・陶磁器や王家ゆかりの品が展示されている。 戴冠の丘には伯爵家の私有教会堂が立てられ、その前にスクーンの石のレプリカが置かれている。 1976年、今上天皇・皇后(当時は皇太子・皇太子妃)が英国を訪問した際、マンスフィールド伯爵邸に2日間滞在しシカモアを植樹された。 このときの写真が今もスクーン宮殿の内部に展示されている。1991年には皇太子浩宮が訪問し、樫の木を植樹されている。 }}} |所在地|スコットランド、パース・アンド・キンロス、パース| |現存状態|現存| |城郭構造|宮殿| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){スクーンの石(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ ***スクーンの石 スクーンの石または運命の石と呼ばれる。この石の上で歴代のスコットランド王が戴冠したという王の象徴ともいうべき石。重量約230kg。 のちにスコットランド王国を打ち立てるスコット人とともに6世紀初めにアイルランドからスコットランドに持ち込まれたとされる。 840年代にアルバ王国を建国したケネス1世によってスクーンの当時の王宮に移され、このときからスクーンの石と呼ばれるようになる 1296年スコットランドに攻め込んだエドワード1世によってイングランドに持ち去られ、ウェストミンスター寺院の玉座の座面にはめ込まれた。以降のイングランド王はこの玉座に座って戴冠式を行うことになる。 #br 一方宿敵イングランドに王の象徴である石を持ち去られたことは、スコットランド人にとって長い間消えない傷を残した。 1950年にはスコットランド人学生によってウェストミンスター寺院から盗み出されるという前代未聞の大事件が起こる。 最終的に発見・回収に成功するが、スクーンの石は逃走途中の事故で二つに割れてしまっていたという。 その後1996年にスコットランドに返還され、以来[[エディンバラ城]]で展示されている。またレプリカがスクーン宮殿で展示されている。 #br 映画『英国王のスピーチ』の作中、ジョージ6世の言語療法士ライオネル・ローグが座って叱責されるのがこの玉座。 もちろん現在のエリザベス女王も戴冠式の際はウェストミンスター聖堂でこの石がはめ込まれた玉座に座った。 現皇太子チャールズが次代の英国王として即位するときにはエディンバラからウェストミンスターへと運ばれまた戻る予定になっている。 上述のような事情を経ているため、エドワード1世が持ち去ったのは偽物だったとか、1950年に発見されたものは犯人グループにすりかえられた偽物だったとか、たびたび偽物疑惑がついて回っている。 もちろん公式には否定されているが、もはや真相は歴史の彼方である。 城プロREにおいてはなぜか[[ダノター城]]改壱の特技として採用されたが、記録上ダノター城に運ばれたという話はない。 &color(Silver){まあスクーン宮殿単体では実装しづらいというのはわかるがだったらエディンバラ城でもいいんじゃ……。}; }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) スコットランド王国の前身アルバ王国時代からの古都。歴代スコットランド王が「スクーンの石」の上で戴冠式を挙げた土地に建つ宮殿である。 ただし、スクーンにあった歴史上の宮殿と現代建っているスクーン宮殿は同じものではない。 現在の宮殿は元の宮殿が失われたのちにマンスフィールド伯爵の居館として建設されたものである。 #br パース地域は「スコットランドの心臓」とも呼ばれる重要な交通の拠点であり、12世紀にはスクーンはスコットランドの首都の一つだった。 都の一つだった、というのは当時の王は定期的に国内の城を移動しており、そのたびに宮廷も丸ごと移動していたからである。 [[エディンバラ城]]や[[スターリング城]]をはじめ、そのほかリンリスゴーなど王家所有の城も同様に王がいるときのみ王宮として用いられていた。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 12世紀前期、アレグザンダー1世によってスクーンの王宮内に修道院が建立され勢力を拡大する。この修道院が宮殿としても使われた。 スクーンの石は1296年にイングランドに略奪されたが、その後もスコットランド王の戴冠式はスクーンの「戴冠の丘」で行われた。 スクーンで戴冠しなかった王は幼少のためにスクーンまで来られなかったジェームズ2世やメアリー女王など少数だった。 13世紀から15世紀にかけてはイングランドに近いエディンバラやスターリングを避けて王宮の機能が集約されており、議会も開かれた。 政治・宗教的な拠点となったスクーン周辺に対して、その南側に商業拠点としてパースの町が発展した。 #br 16世紀のスコットランドの宗教改革でスクーンの修道院は放火・破壊され宮殿としての機能をほぼ失い、修道院も16世紀末には閉鎖された。 その後17世紀初頭にスクーン卿(のちマンスフィールド伯爵)マレー家に与えられ、現代も一帯はマレー家が所有している。 最後に戴冠の丘で戴冠式を行ったのは1651年に即位したチャールズ2世であった。 かつてのスクーン修道院(兼宮殿)の場所は長らく不詳だったが、2007年に磁気探査によって特定された。調査によって、修道院はそれまで想像されていたものよりも大きかったことが判明した。 #br 現在の宮殿は1808年に3代マンスフィールド伯が建築家ウィリアム・アトキンソンに依頼しネオゴシック様式で建築されたもの。 その際屋敷地を広げるために近くの村を丸ごと移住させた。現在宮殿から2マイル弱東にあるスクーンの村はそのとき移住したものである。移転した村の跡地にはマーケットクロス((町や村の中心部、市場が開かれていた場所に立てられた石造りの十字架のモニュメント))が今も建っている。 宮殿内には歴代マンスフィールド伯爵の収集したアンティーク家具・時計・陶磁器や王家ゆかりの品が展示されている。 戴冠の丘には伯爵家の私有教会堂が立てられ、その前にスクーンの石のレプリカが置かれている。 1976年、今上天皇・皇后(当時は皇太子・皇太子妃)が英国を訪問した際、マンスフィールド伯爵邸に2日間滞在しシカモアを植樹された。 このときの写真が今もスクーン宮殿の内部に展示されている。1991年には皇太子浩宮が訪問し、樫の木を植樹されている。 }}} |所在地|スコットランド、パース・アンド・キンロス、パース| |現存状態|現存| |城郭構造|宮殿| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){スクーンの石(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ ***スクーンの石 スクーンの石または運命の石と呼ばれる。この石の上で歴代のスコットランド王が戴冠したという王の象徴ともいうべき石。重量約230kg。 のちにスコットランド王国を打ち立てるスコット人とともに6世紀初めにアイルランドからスコットランドに持ち込まれたとされる。 840年代にアルバ王国を建国したケネス1世によってスクーンの当時の王宮に移され、このときからスクーンの石と呼ばれるようになる 1296年スコットランドに攻め込んだエドワード1世によってイングランドに持ち去られ、ウェストミンスター寺院の玉座の座面にはめ込まれた。以降のイングランド王はこの玉座に座って戴冠式を行うことになる。 #br 一方宿敵イングランドに王の象徴である石を持ち去られたことは、スコットランド人にとって長い間消えない傷を残した。 1950年にはスコットランド人学生によってウェストミンスター寺院から盗み出されるという前代未聞の大事件が起こる。 最終的に発見・回収に成功するが、スクーンの石は逃走途中の事故で二つに割れてしまっていたという。 その後1996年にスコットランドに返還され、以来[[エディンバラ城]]で展示されている。またレプリカがスクーン宮殿で展示されている。 #br 映画『英国王のスピーチ』の作中、ジョージ6世の言語療法士ライオネル・ローグが座って叱責されるのがこの玉座。 もちろん現在のエリザベス女王も戴冠式の際はウェストミンスター聖堂でこの石がはめ込まれた玉座に座った。 現皇太子チャールズが次代の英国王として即位するときにはエディンバラからウェストミンスターへと運ばれまた戻る予定になっている。 上述のような事情を経ているため、エドワード1世が持ち去ったのは偽物だったとか、1950年に発見されたものは犯人グループにすりかえられた偽物だったとか、たびたび偽物疑惑がついて回っている。 もちろん公式には否定されているが、もはや真相は歴史の彼方である。 城プロREにおいてはなぜか[[ダノター城]]改壱の特技として採用されたが、記録上ダノター城に運ばれたという話はない。 &color(Silver){まあスクーン宮殿単体では実装しづらいというのはわかるがだったらエディンバラ城でもいいんじゃ……。}; }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,)