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館林城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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江戸幕府第5代将軍で、館林藩主時代に「館林宰相」と称された徳川綱吉を輩出したことで知られる城。
築城年代は不明だが15世紀後半から赤井氏の居城として記録上に見られ、永禄5年(1562年)に上杉謙信が城を奪い、天正13年(1585年)には北条氏政が攻略、天正18年(1590年)の小田原征伐後は榊原康政が入り、近世城郭として改修した。
江戸時代になると親藩・譜代7家の居城となって代替わりの度に改修が加えられ、特に徳川綱吉の代に大規模に改修された。
綱吉の子の徳松が急死すると館林城は破壊されたが、宝永4年(1707年)に松平清武が綱吉・徳松時代の石高の約10分の1にあたる2万4000石で入り、館林城は石高に見合った規模に縮小して再建され、以後も度々城主が代わりつつ幕末に至った。

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|所在地|群馬県館林市城町|
|現存状態|土塁、堀など|
|城郭構造|梯郭連郭複合式平城|

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&color(White,Maroon){狐の尾曳伝説(クリックで表示)};
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**狐の尾曳伝説 [#ifab3501]

館林城の縄張には、築城者と伝わる赤井照光にまつわる伝説がある。
ある日照光が悪童に捕まった子狐を助けたところ、その夜に白髪の老人が照光の夢枕に立ち、子狐を助けてくれた恩返しとして、館林の地に城を築いて本拠を移すよう忠告した。
その地は鶴生田川の水が流れ込む沼に三方を囲まれ、沼の中心部に低台地が突き出すという天然の要害だったが、その分縄張が困難な土地でもあった。
すると照光の前に白狐が現れ、その尻尾で城の縄張を描いてみせ、照光はその縄張の通りに城を築いたという。
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この伝説にちなんで館林城は別名尾曳城とも呼ばれ、白狐が尻尾を曳き始めた地点には初曳稲荷が、曳き終えた地点には夜明稲荷がまつられている。
また本丸の鬼門(北東)の方角には稲荷曲輪が設けられ、狐の尾曳伝説を伝える尾曳稲荷神社が鎮守社となった。鬼門を守るために建立されたことから、社殿は神社建築には珍しく西向きとなっている。

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*コメント [#comment]
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