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越後福島城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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上杉氏が居城とした[[春日山城]]に代わる城として、堀氏による越後支配の拠点となった城。
慶長3年(1598年)、上杉景勝が[[会津>会津若松城]]へ転封したのに伴い、堀秀治が[[越前北ノ庄>北ノ庄城]]から越後に移り、春日山城を居城とした。
秀治は春日山城を改修する一方で、統治に不向きな山城である春日山城から、平地への居城移転を計画していた。
新城の地として越後府中に近い今町港に面した関川河口の地が選ばれ、慶長5年(1600年)頃から築城が開始された。
越後福島城は秀治の子・忠俊の時代の慶長12年(1607年)に完成し、春日山城から本拠地を移して春日山城は廃城となった。

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越後福島城は本丸を二の丸が囲み、さらに二の丸を三の丸が囲む輪郭式の城で、三の丸の南西部には城下町が置かれる総構の構造となっていた。
側面攻撃を可能とする折れが連続した土塁や堀、織豊時代の城郭に特徴的な枡形虎口などが設けられ、また越後では数少ない角石が算木積みの高石垣が築かれるなど、越後において戦国時代の中世山城から近世平城へと移行する画期にあたる城だった。
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こうして新たな居城となった越後福島城だが、慶長15年(1610年)に越後福嶋騒動で忠俊が改易され、堀氏に代わって松平忠輝が63万石で福島城に入り、[[信濃川中島>松代城]]12万石と合わせ75万石の太守となる。
しかし慶長19年(1614年)、忠輝は天下普請で築かれた[[高田城]]に居城を移したため、越後福島城は築城からわずか7年で廃城となった。
現在、越後福島城跡は市街地化により破壊されてしまっているが、往時の姿を絵図から想像するに、2016年9月6日に始まる緊急出兵[[吾妻おろしと蒼き飛兜]]の舞台になったと思われる。
その後2017年5月16日に同緊急出兵が復刻された際には修正され、福島県福島市(陸奥国信夫郡)にあった[[福島城]]が舞台となっている。

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|所在地|新潟県上越市港町|
|現存状態|石垣、土塁など|
|城郭構造|輪郭式平城|
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