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若山城 の変更点

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大内義隆の重臣で、「西国無双の侍大将」と称された陶隆房の居城。陶氏は大内氏の一族で代々の重臣であり、若山城は第2代の弘政が14世紀半ばに富田保に入った際に築いたとも、第7代の弘護が15世紀後半の道頓の乱の際に築いたともされる。
陶氏歴代の居城として機能し、東と北には嶽山と四熊岳がそびえ、南は山陽道と瀬戸内海を望み、西は防府から山口へと至る街道が伸びる要衝で、天文19年(1550年)に陶隆房が大内義隆への謀反に備え大改修を行った。
翌年隆房は義隆を自害に追い込み大内氏の実権を握ったが、天文24年(1555年)の厳島の戦いで毛利元就に敗れ自害した。
若山城は陶長房が守っていたが杉重輔によって落城し、毛利元就が周防・長門を平定した後に廃城となった。

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|所在地|山口県周南市夜市・福川|
|現存状態|土塁、堀など|
|城郭構造|連郭式山城|

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