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柳川城 の変更点

#include(城娘項目,notitle);

#include(城娘ステータス注釈,notitle)

|CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|c
|>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''柳川城(やながわじょう)''|
|&attachref(柳川城/柳川城S.png,nolink);|>|BGCOLOR(#111):CENTER:&ref(画像で一覧RE/柳川城.png,nolink);|図鑑No.|123|
|~|>|~|レア|3|
|~|>|~|城属性|&ref(画像置場/平.png,nolink);|
|~|>|~|令制国|筑後|
|~|>|~|武器属性|[[石弓]]|
|~|>|~|最大レベル|100|
|~|実装日|>|>|2016年03月25日|
|~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''|
|~|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''初期配置/&color(Red){最大値};''|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''巨大化4回/&color(Red){最大値};''|
|~|消費気|11|消費気((基本消費気を含みます))|100|
|~|耐久|1537/&color(Red){(2028)};|耐久|2889/&color(Red){(3650)};|
|~|耐久|1770/&color(Red){(2028)};|耐久|3327/&color(Red){(3650)};|
|~|攻撃|111/&color(Red){(279)};|攻撃|190/&color(Red){(457)};|
|~|防御|65/&color(Red){(174)};|防御|122/&color(Red){(271)};|
|~|射程|260/&color(Red){260};|射程|426/&color(Red){426};|
|~|防御|76/&color(Red){(174)};|防御|142/&color(Red){(271)};|
|~|射程|280/&color(Red){(260)};|射程|459/&color(Red){(426)};|
|~|回復|10/&color(Red){30};|回復|14/&color(Red){44};|
//
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[特技]]''|
|BGCOLOR(#FCC):[無印] / 耐久強化【射程】・弐|>|>|>|射程内の城娘の耐久が17%上昇|
|BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 耐久強化【射程】・弐|>|>|>|~|
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[計略]]''|
|BGCOLOR(#FCC):[無印] / 柳川三年&br;(使用まで50秒:消費気5)|>|>|>|45秒間対象の防御が1.5倍|
|BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 三柱神社&br;(使用まで40秒:消費気3:&color(Blue){青};配置)|>|>|>|攻撃をしない伏兵を配置(1体まで)&br;気の自然増加量を増加、伏兵の射程(&color(Red){250};)内の&br;城娘の防御が10%上昇。波終了で消滅|
//
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑文章''|
|>|>|>|>|私、柳川城は、1558年蒲池鑑盛によって&br;本格的な城として造られました。&br;&br;水の利を存分に生かした天然の要塞をもつ&br;難攻不落の堅城だったんですよ。&br;&br;あ、皆から真面目と言われますけど、&br;堅物じゃないので安心してくださいね。|

|BGCOLOR(#F99):CENTER:120|400|c
|配布|開始時に所持|
|''[[築城]]''|01:10:00|


//#style(class=submenuheader){{
-''[[城娘改築]]''
//}}
//#style(class=submenu){{

//}}
//#table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=open,calc=1,form=text=|text=|select=_1_2_3_4_5_6_7|select=_3_4_5|select=_1_2_3_4_5_6_7_8_9_10_11_12_13_14_15_16_17_18_19_20|select=_34-5_45-5_57-5_42-6_55-6_70-6_48-7_63-7_80-7_56-8_73-8_93-8_63-9_82-9_104-9_71-10_93-10_118-10_76-11_100-11_127-11_84-12_110-12_140-12_91-13_119-13_151-13_98-14_128-14_163-14_105-15_138-15_175-15_113-16_148-16_188-16,){{
|>|SIZE(13):|>|>|>|>|SIZE(10):|>|>|>|>|>|>|>|>|>|SIZE(13):|c
| | |~レア|~[[&color(White){巨大&br;化数};>巨大化・属性#l379325e]]|>|>|~&size(12){[[&color(White){消費気};>巨大化・属性#i31da6d1]]};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h
|~|~|~|~|~[[&color(White){基本};>巨大化・属性#ubbc4e49]]|~[[&color(White){強化};>巨大化・属性#u2b9a394]]|~&color(White){合計};|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|h
|>|BGCOLOR(#ccc):CENTER:50|>|BGCOLOR(#ddd):CENTER:30|>|>|CENTER:30|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|c
|>|無印|3|4|11|89|100|1537/&color(Red){?};|111/&color(Red){?};|65/&color(Red){?};|260/&color(Red){260};|10/&color(Red){30};|2889/&color(Red){?};|190/&color(Red){?};|122/&color(Red){?};|426/&color(Red){426};|14/&color(Red){44};|
|>|改壱|4|4|10|83|93|1610/&color(Red){?};|116/&color(Red){?};|68/&color(Red){?};|260/&color(Red){260};|10/&color(Red){31};|3026/&color(Red){?};|199/&color(Red){?};|127/&color(Red){?};|426/&color(Red){426};|14/&color(Red){45};|
|>|無印|3|4|11|89|100|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|10/&color(Red){30};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|14/&color(Red){44};|
|>|改壱|4|4|10|83|93|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|10/&color(Red){31};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|14/&color(Red){45};|
//}}


#style(class=submenuheader){{
-''ステータス一覧(クリックで展開)''
}}
#style(class=submenu){{
#include(柳川城/ステータス,notitle)
}}
#br

*ゲーム上の性能・評価 [#evaluation]
-概要
初期城娘の一人で平属性の石弓武器種キャラ。★3ながら、他の城娘との連携で真価を発揮するため、場面を問わない活躍が見込める。
特技の射程内耐久バフや計略の防御バフ(改築前)、気生産トークン(改築後)と、攻撃よりは支援に重きを置いた城娘となっている。
特に改築後は性能上昇、コスト-1の基本強化に加え、計略が''気生産トークンへ変更''される。初心者には早期改築がオススメ。
ただし入手手段は''築城のみ''で、☆3の中では再入手がし辛い部類だが、特殊築城イベントではチョイスの有無を問わず入手しやすくなる。
  
-特技「耐久強化【射程】・弐」
射程内の城娘の耐久を17%強化する。割合上昇系は最大数値のみが適用される仕様から、やや上書きされやすい。
とはいえ序盤はこれだけでも十分高めな効果となる。なるだけ競合で無駄が出ないよう上手く活用して補いたい。
改築後はこの効果の上書き不安を帳消しにするほど計略が優秀なため、欠点を気にする必要もなくなる。
 
-計略「柳川三年」
対象の防御力を1.5倍にする効果。ラッシュを受ける前衛向けの効果で、防御の低い遠隔城娘へのフォローにはやや効果が薄い。
計略効果自体は[[盛岡城]]や[[安平古堡]]と同じ。前者は全て同じ効果だが、武器種と属性が違うため比較対象にならない。
後者の[[安平古堡]]は総合的な燃費が柳川城より悪いが、使い勝手はほぼ同様。よってこの計略を重用して改築を渋る理由としては薄い。
 
-改壱計略「三柱神社」
''改築後''はコストの捻出速度を上げる''気生産トークンに強制変更''。現状、改築で''計略が完全な別物に変わる''のは彼女だけの特徴。
実は''遠隔枠で初の気生産持ち''で、二体目の気生産枠として近接組と競合しづらい編成ができる。
トークン所有の射程内バフは防御+10%。他より大分控えめな効果値だが、そもそも実用的な数値・射程ではないため、無いものと考えよう。
#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){伏兵の性能表(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu){{
|>|>|>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):|c
|>|>|>|>|>|>|CENTER:''三柱神社''|
|~Lv|~耐久|~射程|~攻撃|~防御|~回復|~特技|
|>|>|>|>|>|BGCOLOR(#fcc):RIGHT:|BGCOLOR(#fcc):|c
|1|604|250|0|27|0|防御強化【射程】&br;射程内の城娘の防御が10%上昇|
|65|863|~|~|68|~|~|
|75|904|~|~|75|~|~|
}}
 
-余談
天下統一のプロローグにて、窮地に陥った殿を颯爽と助けに来た初の城娘で、シナリオ上ではメインヒロインに近い扱いを受ける。
だがサービス初期はシナリオで出番があまりなく、緊急出兵で[[久留米城]]との親友関係を見せた以外は影の薄い時期が続き、殿達をやきもきさせた。
しかし2017年頃から機会を問わずシナリオにおける介入度が増え、メインポジションを確固たる(?)ものにする。
以降、殿のため空回りしつつ奮戦したり、他の城娘を羨んだり、他人の空想で悪い顔を見せたり、暴走して大将兜を単騎で退けたりと大活躍する。
また、フルボイスで行われる新年の挨拶は、主に千狐とやくもの担当だったが、2019年にはその役目も担当し、本作の顔役として定着しつつある。
//殿ペロ事件は愛称に移動
 
-性能の変遷
//バランス調整がされた際に箇条書きで記載してください。
#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){性能の変遷の詳細(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu){{
--2018年01月16日:特技、ステータスの上方修正
--2017/03/28:柳川城に[改壱]を追加
--2018/01/16:特技、ステータスの上方修正
---特技:15→17%
--2021年03月16日 「耐久」「攻撃」「防御」を上方修正
--2021/03/16 「耐久」「攻撃」「防御」を上方修正
---[改壱]計略:三柱神社
伏兵の射程内の城娘の防御を上昇させる効果を5%から10%に上方修正
伏兵の射程を200から250に上方修正
}}

-別バージョン情報
--[[[正月]柳川城]](2019年12月27日 実装)
--[[[夏]柳川城]](2020年06月30日 実装)
--[[[絢爛]柳川城]](2023年03月20日 実装)
--[[[アイドル]柳川城]](2024年02月27日 実装)
--[[[学園]柳川城]](2024年04月09日 実装)
*キャラクターボイス [#voice]

CV担当:[[小倉唯>http://www.ogurayui.jp/]]

#region(←クリックすると台詞一覧が表示されます。)

#table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=open){{

※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
|SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c
|入手|入手|はじめまして、柳川城です。&br;攻め落とすは三年、熊本城は三月、&br;佐賀・久留米城は朝飯前と言われているんですよ。|
|所領|所領1|恥ずかしい話ですが、鶴が舞うように美しいという理由で「舞鶴城」とも呼ばれています。|
|~|所領2|この髪飾り「さげもん」は、着物の切れ端で作ってるんです。飾りの中には「一生の幸せ」が、願い込められてるんですよ。|
|~|所領3|趣味は、料理と書道と、茶道や華道。あと蹴鞠・笛・能楽…それから……わ、私のことばかりしゃべって申し訳ありません!殿は休日、どのようにお過ごしですか?|
|~|変身|柳川城、いきます!|
|~|変身解除|只今戻りました。|
|~|ダメージ1||
|~|ダメージ2||
|出陣|出陣|殿への忠義は、誰にも負けません!|
|~|委任出撃|文武両道を心がけております。|
|~|編成1|うふふ、私を攻略するには、三年かかりますよ?|
|~|編成2|へ、へそくりなんてしてません!|
|合戦|つままれ|きゃっ、殿……あまり脅かさないで下さい。|
|~|配置|奇跡は起こす、起こして見せます!|
|~|選択|殿の背中は御守りします。|
|~|巨大化|善に従うだけです!|
|~|特技発動|良い風の流れが来ました!|
|~|計略発動|ここは私にお任せ下さい!|
|~|大破|くっ……ここは撤退します。|
|~|勝利|一つにまとまった兵でなくては、どれほど大人数でも勝利は得られません!|
|~|敗北1||
|~|敗北2||
|その他|合成|いろんな方が、私に手を加えて下さいましたが、殿が一番です。|
|~|放置|鶴のように、首をながーくしてお待ちしてますよ。|
|~|おかえり|お帰りなさい。よ、よろしければ、今度ご一緒に、鰻を食べに行きませんか?|
|~|ありがとう|殿、さすがです!|
|~|出陣画面(図鑑未登録)|弔い合戦は望むところです!|
}}

#region(←クリックすると贈り物イベント、台詞一覧が表示されます。&color(Red){ネタバレ注意};)
#table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{
|SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c
|イベント1|BGCOLOR(#fbd):恩知らずなやつだな。|恩を仇で返すなんてひどいですよね!|
|~|敵を助けたのがまずかったな。|悪いのは龍造寺隆信ですよ!|
|イベント2|運がよかったんだな。|運だけじゃないですよ!|
|~|BGCOLOR(#fbd):筋を通した武将なんだな。|真面目な人にあこがれます!|
|イベント3|どうだろう。|なんで口ごもるんですか……。|
|~|BGCOLOR(#fbd):もちろんだ。|ありがとうございます!|
}}

#endregion
#endregion

特殊ボイス: 利用可能
*画像 [#image]
イラストレーター:[[けけもつ>https://twitter.com/pi_man_nikuzume]]

|&uploader(27369149655efd9e803752555bc5cbab8c359536_scre_167,nolink,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){入手}};|


#region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
|&ref(柳川城/柳川城 御嬢.png,50%);|&ref(柳川城/柳川城 城娘.png,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};|

#region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
大破、特技画像
|&ref(柳川城/柳川城 大破.png,50%);|&ref(柳川城/柳川城 特技.png,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};|
#endregion
#endregion

***改壱 [#imakai1]

#region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
|&attachref(./柳川城 御嬢.png,51%);|&attachref(./柳川城改壱 城娘.png,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};|
#region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
大破、特技画像
|&attachref(./柳川城改壱 大破.png,50%);|&attachref(./柳川城改壱 特技.png,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};|
#endregion
#endregion
***その他 [#kd188fc9]
#region(COLOR(red){''←クリックするとイベント画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
イベント画像
|&uploader(8b36a2400c97c700ae4878e1058f033a965b046c_scre_2186,50%,千狐さんが武器になればいいのです);|&uploader(597ececd561de69bbc5a2b4d0e12666fbefb326e_scre_2187,50%,悪・即・射ァッ!!);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){やくもの夢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){クロンボー城の脚本}};|
#endregion

*現実の城情報 [#information]

//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです)

豊臣秀吉から「その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。」と称えられた西国無双の名将、立花宗茂の城として知られる。
「柳川」は鎌倉時代からみえる地名で、柳川城は文亀年中(1501年~1504年)に蒲池の国人に当たる蒲池治久により、蒲池氏の本城である蒲池城の支城として築かれた。
永禄年中(1558〜1570年)に蒲池鑑盛が柳川城を蒲池氏の本城とし、城の周囲に掘割を縦横無尽に巡らせるなど本格的な改修を行い、この時に形成された城下町は現在の柳川市の元となった。
別名の舞鶴城の名は、鶴が舞うように美しいという城のシルエットによる。

#br
#style(class=submenuheader){{
&color(White,Maroon){続きをクリックで表示};
}}
#style(class=submenu){{

大友氏に忠義を尽くした鑑盛だったが、その子鎮漣は衰退する大友氏から離反し龍造寺隆信についた。鎮漣はやがて隆信と対立し柳川城を攻められるが、約300日にわたる籠城戦に耐え抜いたという。
しかし鎮漣は隆信の謀略によって殺害され下蒲池氏は滅亡し、隆信は柳川城に鍋島信生(のちの直茂)、ついで龍造寺家晴を置いた。
戦国時代の柳川城は度々の攻城戦に耐えた名城として知られ、立花宗茂の義父にあたる戸次道雪も家晴の守る柳川城を攻めあぐねたと伝えられる。
#br
天正15年(1587年)、豊臣秀吉の九州平定に際して、立花宗茂の実父である高橋紹運は[[岩屋城]]で島津軍に徹底抗戦し玉砕したが、宗茂はその弔い合戦とばかりに奮戦し島津軍を次々と破った。
その功を認められた宗茂は南筑後三郡を与えられ、[[立花山城]]から柳川に城地を移し、本格的な城郭整備にとりかかった。
しかし宗茂は関ヶ原の戦いにおいて西軍に与したためわずか13年で改易され、宗茂の城郭整備事業はその後入城した田中吉政によって引き継がれた。
天守閣を備えた本格的な近世城郭は、この田中吉政の時代に築かれたと考えられる。
#br
その田中家も吉政の子忠政に後継がなく断絶し、再び宗茂が柳川藩主として返り咲いた。関ヶ原で西軍に与し改易され旧領に復帰した武将は宗茂だけである。
宗茂は浪人中には加藤清正や前田利長に家臣になるように誘われるも拒絶しているが、これに対して清正は食客(要するに居候)としてならどうかと提案し、宗茂はこれを一時的に承諾している。
田中時代の柳川城がそのまま次の立花時代に引き継がれたかどうかは不明だが、これ以後柳川城は柳川藩立花家11万石の居城として明治維新を迎えることとなる。
#br
明治5年(1872年)1月、天下の名城とうたわれた柳川城も失火により焼失し、石垣も海岸堤防の補強に使用されるなど、現在は柳城中学校の校庭の一隅に小浜と石垣の一部を残すのみとなっている。

}}

|BGCOLOR(#ddd):80|300|c
|所在地|福岡県柳川市本城町|
|現存状態|天守台、石垣、堀|
|廃城年|明治5年(1872年)|
|城郭構造|平城|
//#br
//#style(class=submenuheader){{
//&color(White,Maroon){柳川三年(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu){{

//***柳川三年 [#b334fe97]

//柳川城は城下町全体に水堀が張り巡らされた九州屈指の堅城である。
//天正8年(1580年)には、龍造寺隆信軍が2万の兵で攻め寄せてきたが、およそ300日間の攻防に耐えきった。
//また、天正12年(1584年)には、戸次道雪(立花道雪)・高橋紹運ら大友軍に攻められたが、やはり落城しなかった。
//このような堅固さから柳川城は「凡将が籠城しても1年、名将が籠城したら3年は落ちない」「柳川三年、肥後三月、肥前、久留米は朝茶の子」(柳川城を攻め落とすには三年かかるが、[[熊本城]]は三ヶ月、[[佐賀城]]、[[久留米城]]は朝飯前という意味)と謳われている。
//だが、この謳い文句が生まれた時期については要注意である。天正期ならば熊本城は加藤清正による改築が完了していないし、佐賀城もまだ[[村中城]]であった。

//#br

//}}

//#style(class=submenuheader){{
//&color(White,Maroon){三柱神社(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu){{

//***三柱神社 [#fb202360]

//柳川城から見て鬼門の方角に位置する神社で、その名称は戸次道雪、立花宗茂、立花誾千代の三体の神が祀られていることに由来する。
//天明3年(1783年)に道雪が梅岳霊神の神号を贈られ、柳川城の三の丸にあった長久寺の中の梅岳宮に祀られたのが三柱神社の起源となる。
//宗茂と誾千代は日吉神社の近くにあった唯一宮にそれぞれ祀られており、文政3年(1820年)に宗茂には松陰霊神、誾千代には瑞玉霊神の神号が贈られた。
//同6年(1823年)、松陰霊神と瑞玉霊神が梅岳宮に遷宮合祀されて三柱神社となった。
//しかしそのままでは藩の宗廟としては規模が小さかったため、三柱神社は規模を拡大して現在の地に造営されることとなった。
//新たな三柱神社は「御新宮」と呼ばれ、現在も人々の崇敬を集めている。

//#br

//}}


//#style(class=submenuheader){{
//&color(White,Maroon){へそくりなんてしていません(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu){{

//***へそくりなんてしていません [#h13bcf22]

//天守は明治5年(1872年)の原因不明の火災で焼失しているが、天守台跡は現在、地元では「へそくり山」と呼ばれ親しまれている。
//また、柳川銘菓として「へそ栗山」という栗饅頭が売られている。

//#br

//}}
*城娘の元ネタ情報 [#note]

//※※※注意事項※※※
//元ネタ記事を増やす際には無駄な行間を無くすため「#br」は入れないでください。
//中項目【デザイン】【特技・計略】【セリフ】の第一行「#style(style=padding-bottom~」と末行「}}}」は各中項目の間隔調整も兼ねているのでそのままにしておいてください。

【デザイン】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){容姿(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
別名が舞鶴城ということもあり、後ろ髪や着物など至る所に鶴の羽根のデザインが盛り込まれている。
そして、やや大きめのアホ毛は、鶴の頭部から首をモチーフにしたのかもしれない。
}}

}}}
【特技・計略】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){柳川三年(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
柳川城は城下町全体に水堀が張り巡らされた九州屈指の堅城である。
天正8年(1580年)には、龍造寺隆信軍が2万の兵で攻め寄せてきたが、およそ300日間の攻防に耐えきった。
また、天正12年(1584年)には、戸次道雪(立花道雪)・高橋紹運ら大友軍に攻められたが、やはり落城しなかった。
このような堅固さから柳川城は「凡将が籠城しても1年、名将が籠城したら3年は落ちない」「柳川三年、肥後三月、肥前、久留米は朝茶の子」(柳川城を攻め落とすには三年かかるが、[[熊本城]]は三ヶ月、[[佐賀城]]、[[久留米城]]は朝飯前という意味)と謳われている。
だが、この謳い文句が生まれた時期については要注意である。
天正期ならば熊本城は加藤清正による改築が完了していないし、佐賀城もまだ[[村中城]]であった。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){三柱神社(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
柳川城から見て鬼門の方角に位置する神社で、その名称は戸次道雪、立花宗茂、立花誾千代の三体の神が祀られていることに由来する。
天明3年(1783年)に道雪が梅岳霊神の神号を贈られ、柳川城の三の丸にあった長久寺の中の梅岳宮に祀られたのが三柱神社の起源となる。
宗茂と誾千代は日吉神社の近くにあった唯一宮にそれぞれ祀られており、文政3年(1820年)に宗茂には松陰霊神、誾千代には瑞玉霊神の神号が贈られた。
同6年(1823年)、松陰霊神と瑞玉霊神が梅岳宮に遷宮合祀されて三柱神社となった。
しかしそのままでは藩の宗廟としては規模が小さかったため、三柱神社は規模を拡大して現在の地に造営されることとなった。
新たな三柱神社は「御新宮」と呼ばれ、現在も人々の崇敬を集めている。
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【セリフ】
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&color(Black,gainsboro){へ、へそくりなんてしてません。(クリックで表示)};
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天守は明治5年(1872年)の原因不明の火災で焼失しているが、天守台跡は現在、地元では「へそくり山」と呼ばれ親しまれている。
また、柳川銘菓として「へそ栗山」という栗饅頭が売られている。
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