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平林城 の変更点

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上杉謙信から血染めの感状を与えられた猛将、色部勝長の居城で、山頂の山城部分と山麓の居館部分からなる。
色部氏は揚北衆の一員で独立性が高く、永正の大乱の際には守護代長尾氏と対立し、平林城は中条氏に攻められ落城した。
勝長の代では謙信の重臣となり第四次川中島の戦いでも活躍したが、同じ揚北衆の本庄繁長が謙信に叛いた際に繁長の[[越後本庄城]]を包囲中の永禄12年(1569年)、夜襲に遭って討死したとされる。
平林城はその後勝長の子顕長、その弟長実が城主となり、天正16年(1588年)に長実は豊臣秀吉から豊臣の姓を賜った。
平林城の山麓居館は織豊系城郭の特徴が見られることから、長真の代に大規模な改修が行われたと考えられている。
また平林城は越後本庄城とともに「越後国瀬波郡絵図」に描かれ、戦国当時の城郭の姿を知る貴重な事例となっている。なお絵図には山城部分が「加護山古城」と記され、絵図が作られた慶長2年(1597年)の時点で山城部分は廃城だったとされる。

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|所在地|新潟県村上市葛籠山|
|現存状態|堀切、空堀、土塁など|
|城郭構造|山城|

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