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太閤御所 の変更点

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[[聚楽第]]が破却された後、慶長2年(1597年)に豊臣秀吉が京都御所の南東に築いた城郭風邸宅。当時は「太閤御屋敷」「太閤上京屋敷」などとも呼ばれ、現代になって「京都新城」と呼ばれるようになった。
朝臣としての豊臣氏の邸宅として築かれたが、秀吉は数度使用したのみで居城にはせず、慶長3年(1598年)に死去した。
翌年に秀吉の正室である北政所(高台院)が[[大坂城]]から移り、高台院屋敷として用いられ規模は縮小された。
高台院の死後、太閤御所の敷地は後水尾上皇の御所の地に選ばれ、寛永4年(1627年)に仙洞御所が築かれた。
史料も数少なく遺構も発見されていなかったが、京都市上京区の京都仙洞御所内の発掘調査により本丸を囲う石垣や堀が発見されたと、市埋蔵文化財研究所が令和2年(2020年)5月12日に発表した。

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|所在地|京都府京都市上京区|
|現存状態|仙洞御所|
|現存状態|仙洞御所、石垣、堀|
|城郭構造|平城|
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