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千歳城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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築城年代は定かではないが吉岡氏によって築かれたと云われる。 吉岡氏は大友氏一族野津氏の分流である。
吉岡長増(宗歓)は大友義鑑・義鎮二代に仕えた老臣で臼杵鑑速とともに豊州二老と呼ばれた重臣である。この長増のときに[[鶴崎城]]が築かれ居城を移したとも伝えられるが、長増は千歳城にて没したという。
千歳城は乙津川を望む台地の東端に築かれていた。 現在の千才児童公園となっている部分が城跡の一部であり、この北端の道路に面した部分に「吉岡氏 千歳城跡」の石碑が建っている。
遺構は公園から少し西へ進んだ所に南の民家に入っていく細い路地があり、その脇に南北に堀跡が残っている。隣接する延岡藩千歳役所は、正徳5年(1715年)日向国延岡藩によって築かれた。
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正徳2年(1712年)三河国吉田より牧野成央が八万石で延岡に入封すると、それまで五万石余りであった延岡藩領の不足を補う為、豊後国速見郡・大分郡・国東郡の三郡から約二万石が延岡藩領となった。
正徳2年(1712年)三河国吉田より牧野成央が8万石で延岡に入封すると、それまで五万石余りであった延岡藩領の不足を補う為、豊後国速見郡・大分郡・国東郡の三郡から約2万石が延岡藩領となった。
これを管理する為の代官所が正徳2年(1712年)に大分郡の山津村に置かれたが、正徳5年(1715年)に隣の千歳の地に移された。
延岡藩は延享4年(1747年)に牧野貞通が常陸国笠間へ転封となり、陸奥国磐城平より内藤政樹が七万石で入封しているが、千歳役所はそのまま利用された。
延岡藩は延享4年(1747年)に牧野貞通が常陸国笠間へ転封となり、陸奥国磐城平より内藤政樹が7万石で入封しているが、千歳役所はそのまま利用された。
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江戸時代には徒歩5分~10分で肥後熊本藩飛び地の鶴崎村、鉄砲村
江戸時代には徒歩5分で豊後臼杵藩飛び地の猪野村、小池原村、森村、森町村、葛木村
江戸時代には徒歩5分~10分で豊後岡藩飛び地の三佐村、海原村
江戸時代には徒歩10分で豊後高松藩の高松村
江戸時代には徒歩5分で豊後幕府領の高松村・原村・乙津村、三川村
江戸時代には徒歩5分~10分で天領の高松村、乙津村

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|所在地| 大分県大分市千歳|
|現存状態|堀跡|
|城郭構造|平城|
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