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亘理城 の変更点

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亘理城(わたりじょう)は宮城県亘理市(陸奥国亘理郡)にあった城で、江戸期の伊達21要害の一つ。
太平洋岸に向かって突きだした丘陵の先端にあった平山城で、浜街道を押さえる要衝の城である。
亘理城(わたりじょう)は太平洋岸に向かって突きだした丘陵の先端にあった平山城。浜街道を押さえる要衝の城で、江戸期の伊達21要害の一つ。
天文12年(1543年)に伊達氏より養子に入った亘理元宗が、これまでの亘理氏の居城である小堤城にかわり築き移ったことに始まり、その後、片倉景綱、伊達成実と城主が替わった。
最終的には成実に始まる亘理伊達氏が代々城主を務め、亘理要害として幕府に認可され明治維新まで存続した。
明治期に入ると、亘理伊達氏は城一帯を売却し、その代金で北海道に移住(これが現在の北海道伊達市の基盤となった)、当地を去った。
現在、本丸跡には伊達成実を祭神とする亘理神社が建立されており、付近一帯は旧舘公園となり、唯一残る遺構である本丸南側の内堀跡がここが城跡であることを感じさせている。

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|所在地|宮城県亘理郡亘理町亘理字旧館|
|現存状態|亘理神社、旧舘公園|
|城郭構造|平山城|
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