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二本松城 の変更点

#include(城娘項目,notitle);

#include(城娘ステータス注釈,notitle)

|CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|c
|>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''二本松城(にほんまつじょう)''|
|&attachref(./二本松城S.png,nolink);|>|BGCOLOR(#111):CENTER:&ref(画像で一覧RE/二本松城.png,nolink);|図鑑No.|300|
|~|>|~|レア|6|
|~|>|~|城属性|&ref(画像置場/平山.png,nolink);|
|~|>|~|令制国|陸奥|
|~|>|~|武器属性|[[大砲]]|
|~|>|~|最大レベル|115|
|~|実装日|>|>|2018年07月10日|
|~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''|
|~|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''初期配置/&color(Red){最大値};''|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''巨大化5回/&color(Red){最大値};''|
|~|消費気|15|消費気((基本消費気を含みます))|188|
|~|耐久|1311/&color(Red){1936};|耐久|2753/&color(Red){3872};|
|~|消費気|15|消費気((基本消費気を含みます))|175|
|~|耐久|1311/&color(Red){(1936)};|耐久|2753/&color(Red){(3872)};|
|~|攻撃|110/&color(Red){(337)};|攻撃|209/&color(Red){(606)};|
|~|防御|44/&color(Red){180};|防御|92/&color(Red){333};|
|~|防御|44/&color(Red){180};|防御|92/&color(Red){(333)};|
|~|射程|340/&color(Red){340};|射程|612/&color(Red){612};|
|~|回復|10/&color(Red){33};|回復|16/&color(Red){49};|
|~|回復|10/&color(Red){33};|回復|16/&color(Red){52};|
//
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[特技]]''|
|BGCOLOR(#FCC):[無印] / 攻撃/攻撃速度低下【射程】・参|>|>|>|射程内の敵の攻撃と攻撃速度が20%低下|
|BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 八千代の松|>|>|>|自身の射程が40上昇&br;射程内の敵の攻撃と攻撃速度が25%低下|
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[計略]]''|
|BGCOLOR(#FCC):[無印] / 日影の井&br;(使用まで60秒:消費気5:&color(Red){赤};&color(Blue){青};配置)|>|>|>|攻撃しない伏兵を配置&br;伏兵の射程(&color(Red){400};)内の城娘の耐久が20%&br;回復が40上昇|
|BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 日影の井&br;(使用まで60秒:消費気5:&color(Red){赤};&color(Blue){青};配置)|>|>|>|~|
//
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑文章''|
|>|>|>|>|中世から近世にかけて同じ場所に存続した、&br;東北の中では稀有な城、&br;それがあたし、二本松城だよっ!&br;奥州の要となる位置に建てられた&br;御城だったことから、戊辰戦争でも&br;と~っても大事な役割を果たしてたんだ!&br;&br;ただ、その結果、とても悲しい事が&br;起きちゃったんだけどね……。あっ、もちろん、&br;殿には悲しい思いなんてさせないよ!&br;その辺はドーンと安心しちゃって良いからねっ!|

|BGCOLOR(#F99):CENTER:120|400|c
|''[[築城]]''|04:00:00|
|''神社''|&color(Red){''[[招城儀式]]''};(&color(Red){通常招城儀式からは排出されなくなった};)|


//#style(class=submenuheader){{
//-''[[城娘改築]]''
//}}
//#style(class=submenu){{
//
//}}
//#table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=open,calc=1,form=text=|text=|select=_1_2_3_4_5_6_7_8|select=_3_4_5|select=_1_2_3_4_5_6_7_8_9_10_11_12_13_14_15_16_17_18_19_20|select=_34-5_45-5_57-5_42-6_55-6_70-6_48-7_63-7_80-7_56-8_73-8_93-8_63-9_82-9_104-9_71-10_93-10_118-10_76-11_100-11_127-11_84-12_110-12_140-12_91-13_119-13_151-13_98-14_128-14_163-14_105-15_138-15_175-15_113-16_148-16_188-16,){{
//|>|SIZE(13):|>|>|>|>|SIZE(10):|>|>|>|>|>|>|>|>|>|SIZE(13):|c
//| | |~レア|~[[&color(White){巨大&br;化数};>巨大化・属性#l379325e]]|>|>|~&size(12){[[&color(White){消費気};>巨大化・属性#i31da6d1]]};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h
//|~|~|~|~|~[[&color(White){基本};>巨大化・属性#ubbc4e49]]|~[[&color(White){強化};>巨大化・属性#u2b9a394]]|~&color(White){合計};|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|h
//|>|BGCOLOR(#ccc):CENTER:50|>|BGCOLOR(#ddd):CENTER:30|>|>|CENTER:30|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|c
//|>|無印|||||@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|10/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|
//|>|改壱|||||@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|10/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|/&color(Red){?};|
//}}


#style(class=submenuheader){{
-''ステータス一覧(クリックで展開)''
}}
#style(class=submenu){{
//--[[テンプレート/城娘/ステータス表]]より、城娘ステータス用のページをテンプレートから作成し、ここにincludeしてください。&br;
#include(二本松城/ステータス,notitle)
}}
#br



*ゲーム上の性能・評価 [#evaluation]
-概要
平山属性では激戦区となりつつある大砲武器種の城娘。
攻撃的な能力が多い大砲の中では珍しく、特技・計略共に防御寄りの城娘。一方で素のステータスは攻撃が高い。
単独では中途半端に感じるかもしれないが、他の城娘から気兼ねなくバフを受けられるとも言える。
総じて、一人ではなく連携を考えての運用が求められる城娘である。
 
-特技「攻撃/攻撃速度低下【射程】・参」
大砲としては珍しく、なおかつ効果の大きい攻撃力と攻撃速度に対するデバフ。
敵の攻撃力をがっつり落とせ、何より大砲の射程を生かすことで広範囲に効果が及ぶのが特徴。
味方の被害を激減させる事ができるのは大きいが、計略持ち大砲の重さゆえに気軽な発動はできない。
積極的に使うならば同じ平山属性の[[浜松城]]と組む事も考えた方が良いだろう。
とはいえ最大化した方が結果として殲滅力も巻き込み範囲も上がるため、気の捻出手段を考えるのがあくまで正攻法と言える。
 
-計略「日影の井」
伏兵の射程内の城娘の耐久が20%、回復が40上昇する井戸トークンを設置する。
//他の井戸系計略と比べ、回復がやや低いが耐久も上昇し、何より''射程が400と非常に広範囲に及ぶ''のが魅力。
井戸系計略らしく射程は400と広範囲に及ぶ。永続効果としては高い上昇値を持ち、そして波終了で消滅しないのが魅力。
特技と合わせる事で部隊を堅牢にすることができ、攻撃デバフを発動させるための繋ぎとしても扱いやすい。
配置場所を選ばない、波終了で消滅しないという特徴は高難易度終盤でのデコイとしても有用で、地味ながら様々な働きを期待できる計略である。
 
//ただし配置場所を選ばないため、気生産トークンと被らないのもそうだが、タゲずらしは比較的容易な方。
//とは言っても、昨今はトークンを一撃で葬る高火力の敵も多く、デコイと割り切るアドリブ力も必要となる。
//延命を狙って他のトークンで守っていっても良いくらいには、地味ながら便利な効果である。
注意点としてCTが長めの60秒。加えて井戸トークンの例に漏れず脆く、遠距離攻撃や飛行兜に目を付けられるとすぐに壊されてしまう。
なるべく維持をしてこそ実感できる効果なので、すぐに消滅して長い待ち時間を過ごす事になったのではもったいない。
前者は同じ平山属性の[[彦根城]]や[[高岡城]]などのCT短縮で、後者は位置取りの調整や他トークンでカバー、あるいは割り切って緊急時のデコイ専用にするなど殿のアドリブ力で対応しよう。
#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){伏兵の性能表(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu){{
|>|>|>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):|c
|>|>|>|>|>|>|CENTER:''日影の井''|
|~Lv|~耐久|~射程|~攻撃|~防御|~回復|~特技|
|>|>|>|>|>|BGCOLOR(#fcc):RIGHT:|BGCOLOR(#fcc):|c
|1|966|400|0|30|0|耐久/回復強化【射程】&br;射程内の城娘の耐久が20%、回復が40上昇|
|50|1283|~|~|65|~|~|
|55|1315|~|~|69|~|~|
|60|1348|~|~|72|~|~|
|65|1380|~|~|76|~|~|
|70|1413|~|~|79|~|~|
|75|1445|~|~|83|~|~|
}}
 
-改築
大砲なので計略持ち共通の恩恵「基本コスト-1」がかなりの追い風となるが、加えて特技が強化された。
新特技「八千代の松」は射程内の敵の攻撃低下・攻撃速度低下が25%に上昇し、自身の射程が40伸びるように。
デバフはどちらも25%とかなり高く、射程が極めて広いこともあり攻勢を弱めるのに強力な特技となった。
デバフはどちらも25%とそこそこ高く、射程が極めて広いこともあり攻勢を弱めるのに強力な特技となった。
競合相手になりやすい[[金亀城]]と[[臼杵城]]にはないこの強烈なデバフを広射程内に付与できるのは間違いなく長所かつ個性である。
持久能力を求められやすいマップや、序盤の気不足を補い難い場合は、強化も相まって先の二体以上の活躍が見込める。
 
-余談
名前が似ているが、実は[[三本松城]]とは特に関わりはない。台詞の通り、シナリオでは[[会津若松城]]を非常に慕っている。
 
-性能の変遷
//バランス調整がされた際に箇条書きで記載してください。
#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){性能の変遷(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
#style(class=submenu){{
--2020年05月26日、計略の効果を修正
回復上昇の効果量を20から40に上方修正
攻撃の波終了で消滅しない性能に変更
--2020年05月26日、改壱特技の効果を修正
自身の射程上昇の効果量を20から40に上方修正

}}

*キャラクターボイス [#voice]

CV担当:山下七海

#region(←クリックすると台詞一覧が表示されます。)

#table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=open){{

※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
|SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c
|入手|入手|じゃじゃ~ん!&br;会津若松城様の懐刀こと、二本松城が来てあげたよー!&br;みんなで笑って明日を迎えられるよう、&br;今日から精一杯頑張るからねっ!|
|所領|所領1|く~わのはく~わのは、はっぱっぱー♪ さぁ、殿もご一緒に! ん? その歌は何って? そりゃもちろん、蚕ちゃんたちにご飯をあげる歌、だよ♪|
|~|所領2|ねぇねぇ、殿ー! 一つお願いがあるの。そのぉ……もし良ければ、あたしの荷物に名前を書いてほしいなぁ……なんて。だめ、かな?|
|~|所領3|殿、ここだけのお話なんだけど……会津若松城様って、ハートの形をしたものを集めるのが趣味なんだよ。これ、二人だけの秘密だからね?絶対、他言無用、だよ?|
|~|変身|とっくり構えてぇ、そりゃあ!|
|~|変身解除|あの光るのが、二本松城ちゃーんっと言う訳で、ただいま! 殿!|
|~|ダメージ1|穴太衆の石垣じゃなかったら、危なかったよ。|
|~|ダメージ2|大壇口の激戦に比べたら……全然平気だよ!|
|出陣|出陣|皆で一緒に帰る為、敵はぜーんぶ私が吹っ飛ばす!|
|~|委任出撃|どんな手を使ってでも、成し遂げてみせる! 行くよっ!|
|~|編成1|よし、来たぁ! 任せて!|
|~|編成2|~~っ! ワクワクしてきたぁ!|
|合戦|つままれ|あわわっ! 何するのぉ~!|
|~|配置|二本松城、砲撃開始っ!|
|~|選択|困った時は、狙わずに撃つ!|
|~|巨大化|まだまだ行っくよー!|
|~|特技発動|問答無用で、どっかーん!|
|~|計略発動|生きて帰るんだ! 絶対に!|
|~|大破|お星さまがぁ、ぐーるぐるぅ。|
|~|勝利|はぁ~、お腹減った~。殿! 帰ったら、一緒にご飯食べようね!|
|~|敗北1||
|~|敗北2||
|その他|合成|石垣以外も、しっかり補強してね♪|
|~|放置|ありゃりゃ、殿が寝ちゃったぁ、それじゃあ、起きるまで生糸作ってよぉっと。|
|~|おかえり|お、おはえりなはい~殿~。んぐ、ふぃ~。あのね、羊羹を持って来たんだけど、殿も一緒に食べない? 美味しいよ~。|
|~|ありがとう|ありがとう。|
|~|出陣画面(図鑑未登録)|かくれんぼしよーよ! わたしが鬼ねー!|
}}

#region(←クリックすると贈り物イベント、台詞一覧が表示されます。&color(Red){ネタバレ注意};)
#table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{
|SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c
|イベント1|虫かぁ……。|あーっ! 今、蚕ちゃんを見て引いたでしょー!? こんなに可愛い姿をしてるのに、ひっどーい! 私、ちょっとだけがっがりだよ……はぁ~。|
|~|BGCOLOR(#fbd):生糸作りか。興味はあるな。|おぉ~♪ そっかそっか、興味あるんだ~♪ なら、あたしが教えてあげる! それで、いつか二人で歌を歌いながら一緒に糸を紡ごうね! くわのはぱっぱー、って♪|
|イベント2|面倒な頼みだな。|うぅ……だって、どうしても殿に名前を書いてほしかったんだもん……って、なんだかんだ言いつつも、しっかり書いてくれてるー! わーい、ありがと♪ 殿ぉ♪|
|~|BGCOLOR(#fbd):ああ、構わないぞ。|わーい! やったー! あっ、それとね。もし良ければ巾着袋や、髪飾り、あと下駄とかにも名前を書いてくれると嬉しいな♪ ねっ♪ おねがい、殿♪|
|イベント3|BGCOLOR(#fbd):なら、俺も一緒にやりたいな。|うん! もちろん大歓迎だよ! 一緒にあの子たちを……ううん。世界中の子供たちを笑顔にできるくらい、い~っぱいお花を育てようね。えへへ♪|
|~|人形の方が良くないか?|だーめーなーの! こういうのはね、花が一番良いって相場が決まってるんだよ! そういうこともわからないなんて、殿もまだまだお子様だよねぇ……まったく……。|
}}

//正解色 BGCOLOR(#fbd):

#endregion
#endregion
*画像 [#image]
イラストレーター:

|&uploader(3ae24b1ece442ee20c477c94b679205dee59aaa4_scre_3507,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){入手}};|


#region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
|&uploader(9052b101cd9a40c1db777f471e6dee550edc1027_scre_3508,50%);|&uploader(bd14fdb73fcac1007981fa6045f3f74cf7c9c0be_scre_3509,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};|

#region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
大破、特技画像
|&uploader(b7793d76be0d55c12b1a7439c89b0a6e3f8f1d95_scre_3511,50%);|&uploader(ad4f0f77d8cac4bd0c58213cd039cf3655e61f9d_scre_3510,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};|
#endregion
#endregion

***改壱 [#w029b175]
#region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
|&uploader(9052b101cd9a40c1db777f471e6dee550edc1027_scre_3508,50%);|&uploader(0b01abc52e486fc967e670771e2d5d7d5afe97f8_scre_6084(,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};|

#region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
大破、特技画像
|&attachref(./nihonmatukaiichi2.png,50%);|&attachref(./nihonmatukaiichi3.png,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};|
#endregion
#endregion
*城娘の元ネタ情報 [#note]

//※※※注意事項※※※
//元ネタ記事を増やす際には無駄な行間を無くすため「#br」は入れないでください。
//中項目【デザイン】【特技・計略】【セリフ】の第一行「#style(style=padding-bottom~」と末行「}}}」は各中項目の間隔調整も兼ねているのでそのままにしておいてください。

【デザイン】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

//次の6行を使って折りたたんでください。
//#style(class=submenuheader){{
//&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
//(本文を入力してください)
//}}

}}}
【特技・計略】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){八千代の松(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
城内の庭園にある、樹齢300年を超えるアカマツの大樹。傘松とも呼ばれ、傘を開いたような整った樹形になっている。
なお、うどんでおなじみ丸亀市にも「千代の傘松」という類似した特徴の古木がある。検索する時は気をつけよう。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){日影の井(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
二本松城内にある井戸。
千葉県印西市にある月影の井の縁起に「清水湧出して四時渇水することなし、伝言、大管豊後守の水行場と又月かげの井と称して、鎌倉星の井、奥州二本松の日の井と共に日本三井一なりと言う」と記されている。
}}

//次の6行を使って折りたたんでください。
//#style(class=submenuheader){{
//&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
//(本文を入力してください)
//}}

}}}
【セリフ】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){もし良ければ、あたしの荷物に名前を書いてほしいなぁ(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
二本松少年隊の岡山篤次郎の逸話。
出陣前夜、支度を整えていた母親に「私の持ち物に『二本松藩岡山篤次郎13歳』と書いてください。私は字が下手だから敵に見られたら恥ずかしいし、なにより私が死んだ時、母上が私の亡骸を見つけやすいでしょ?」とお願いをし母が望み通り持ち物に名を記した。
大壇口に出陣、善戦するも敗走。大隣寺付近まで引き上げた時、新政府軍の一斉射撃に合い重症を負い新政府軍の野戦病院に運ばれた。混濁した意識の中「鉄砲はどこだ」「弾をよこせ」とうわごとを繰り返し、時々我に帰ったように「悔しい」と涙を流し母親を呼んでいた。その健気な姿を見て土佐藩広田弘道新政府軍隊長は「今敦盛」と評し回復したら自分の養子にしたいとまで言いましたが、その日の夕刻、息を引き取った。篤次郎の身元は彼が望んだ通り衣装に書かれた名前から家族の元へと帰された。墓石には広田隊長からの反感状の一文が刻まれた。「君が為 二心なき武士は 命を捨てよ 名に残るらん」」
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){会津若松城様って、ハートの形をしたものを集めるのが趣味なんだよ(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
[[会津若松城]]([[鶴ヶ城]])の石垣の中にハート型をした石が二つあることから。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){あの光るのが(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
高村光太郎の詩集「智恵子抄」に収められた「樹下の二人」の一節、「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川」より。
光太郎の妻智恵子の実家が二本松にあり、光太郎が静養していた智恵子のもとを訪れたときの作。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){生糸作ってよぉっと(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
明治6年(1873年)に政府拝借金により二本松製糸会社が、明治18年(1885年)には民間経営としては日本初の機械製糸工場・双松館が二本松城三の丸跡に設立された。
工場跡地には現在、双松館創始者で三代目二本松町長を務めた山田脩の銅像が建てられている。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){羊羹を持って来たんだけど(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
爪楊枝で刺などして表面のゴム皮に傷をつけると皮がむける玉羊羹は二本松市の和菓子店「玉嶋屋」が戦場の兵士に送る慰問袋用の菓子として開発した。
当時は「日の丸羊羹」という商品名だったが、戦後になってから現在の名称に改められた。
}}

//次の6行を使って折りたたんでください。
//#style(class=submenuheader){{
//&color(Black,gainsboro){(題名を入力してください)(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
//(本文を入力してください)
//}}

}}}
*現実の城情報 [#information]

//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです)

中世から近世にかけて奥州街道を押さえた要衝の城で、戊辰戦争での二本松少年隊の悲劇でも知られる。
のちに室町幕府三管領家の一つとなる名門・畠山氏の、かつての嫡流にあたる畠山高国が足利尊氏によって奥州管領に任じられ、現在の二本松城から北に1.7キロメートルの、殿地が岡(田地が岡)に居館を構え二本松と改称したのが始まりで、満泰の代で新たに二本松城を築き居城とした。
#br
二本松城は、標高345メートルの白旗ヶ峰を中心に、南・西・北が丘陵で囲まれた要害の地に築かれ、二本松畠山氏時代は現在西城と呼ばれる部分が中心部だった。
山頂部の本丸を中心としてその直下の西側には新城館、東側には松森館が置かれ、新城館の下には本宮館、松森館の下には鹿子田館、そして城下に向かって東西に伸びる観音丘陵上には、箕輪館と栗ヶ柵館が置かれて内郭防衛線が設定されていたと思われる。

#br
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){続きをクリックで表示};
}}}
#style(class=submenu){{{

城内には、この時代の大手道の一部がそのまま残されており、山の中腹斜面にはつづら折れの通路が確認できる。
また本丸の北側に伸びる尾根に設けられた、土塁や空堀やL字型の堀切も二本松畠山氏時代の遺構と考えられている。
#br
高国の甥で、畠山氏の庶流だった国清の家系が畠山氏の嫡流となり三管領の家柄として繁栄する一方で、二本松畠山氏は奥州在地の一国人として扱われるなど没落し、蘆名氏や伊達氏に圧迫されるようになった。
天正13年(1585年)、伊達政宗が塩松地方の大内定綱を攻めた際、二本松畠山氏9代当主・義継は蘆名氏などとともに反伊達勢力であったことから、定綱が居城の小浜城を捨てて逃れてくるとこれを受け入れた。
結果、二本松畠山氏は伊達氏の攻勢に晒され、降伏するにも政宗から厳しい条件を突きつけられ窮した義継は、政宗の父輝宗を頼り、何とか講和にこぎ着ける手はずを整えた。
しかし、この謝礼のために宮森城に居た伊達輝宗のもとを訪れた義継が突如輝宗を拉致し、最終的に阿武隈川河畔で伊達氏の軍勢により輝宗もろとも射殺されてしまう(粟之巣の変事)。
これにより講和は破談となり、伊達勢に包囲された二本松城では義継の遺児・国王丸(元服し義綱と名乗る)を立て、これに抵抗した
二本松城の包囲を受けて、伊達氏と対立関係にあった佐竹義重と相馬義胤ら南奥諸氏の連合軍が二本松方への援軍として北上し、それを察知した伊達政宗は包囲に必要な兵力以外をまとめて南下、両者は伊達領南端で衝突、人取橋の戦いが勃発する。
合戦そのものは老臣鬼庭左月斎が討ち死にするなど伊達氏側の大敗に終わったものの、当日夜に陣中の混乱と領内の不穏を受け佐竹義重が突如帰国してしまったため、伊達勢を追撃することなく連合軍も撤退してしまう。
そのため、この戦での連合軍の成果は伊達軍の予備兵力に打撃を与えただけにとどまり、伊達勢が強攻で二本松城を落とすことは防げたものの、二本松城が包囲されているという状況を打開することはできずじまいであった。
翌年になると再び伊達方の攻勢が強まるが、籠城勢の必死の防戦と蘆名氏など南奥諸将の圧力により伊達方は二本松城を攻め落とすことができず、一方、長い包囲により籠城方も限界に達しつつあった。
最終的に相馬義胤が間に入る形で講和がまとまり、これを受けて二本松義綱らは蘆名家へと退去し、二本松城は伊達氏のものとなった。
この一連の出来事により、伊達氏を中心とした婚姻や養子縁組による南奥諸氏の緩い外交的結びつきである洞(うつろ)は完全に崩壊し、南奥諸氏は佐竹氏を中心とした連合体制へと移行、伊達氏は外交的に孤立を深めることになった。
一方、洞による外交的束縛から解き放たれたことは伊達政宗を南東北の武力統一へと邁進させ、肝心要の佐竹氏が惣無事令の影響で南東北への干渉に消極的になってしまったため南奥諸氏は各個撃破される形となり、伊達政宗に屈服していった。
近年の発掘調査によって二本松城の新城館では自焼した痕跡が発見され、この付近で攻防戦があったことを裏付けるとともに、本丸の機能が新城館にあったことが明らかとなった。
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政宗は二本松城の城代として「智の片倉景綱」と「武の伊達成実」と呼ばれる2人の重臣を続けて置くなど二本松城を重視したが、豊臣秀吉によって政宗が転封となると会津には蒲生氏郷が入り、二本松城は[[会津若松城]]の支城となった。
この蒲生氏の時代に二本松城は石垣を備える近世城郭へと改修され、続く上杉氏、再び蒲生氏、加藤氏も改修を続けた。
上杉氏の時代には二本松城内の新城館(西城)と松森館(東城)にそれぞれ城代が置かれ、この二城代体制は蒲生氏にも引き継がれ、二本松城が重要な支城と位置づけられていたことがうかがえる。
二本松城の近世城郭への改修は中世期の縄張が強く意識されており、中世の切岸を石積で補強し、搦手門を掘立柱による冠木門から礎石立の高麗門に造り替え、三の丸は高石垣を用いて造成されるなど、中世城郭を近世城郭に改変する形で改修されていき、これらの改変は、寛永4~20年(1627~1643年)の加藤氏の時代によるものと判明している。
寛永20年(1643年)に[[白河小峰城]]から移った丹羽光重は、観音丘陵を城域に取り込むなど大規模な改修に着手し、馬蹄形城郭と呼ばれる特異な造りの城となった。
城内の石垣は修築されて天守も築かれ、さらにそれまで城の直下を通っていた奥州道中を観音丘陵の南側に付け替えた。
武家屋敷と社寺町家屋敷は観音丘陵を境として完全に分離され、武家屋敷は郭内、社寺町家屋敷は郭外とする城下・城下町整備が行われ、二本松藩の藩庁としてふさわしい威容が備えられた。
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以後、二本松城は丹羽氏10代の居城となって幕末に至り、戊辰戦争で二本松藩は、奥羽越列藩同盟に参加したことで新政府軍による攻撃を受けることとなる。
その際に、少年兵で構成された二本松少年隊の多くが戦死するなどの悲劇を経て落城し、明治6年(1873年)の廃城令で廃城となった。
城の建物は戊辰戦争で多くが焼失し、廃城令で残る建物も破壊されたが、昭和57年(1982年)に箕輪門とそれに付属する二階櫓、多門櫓が復元され、平成5年(1993年)から平成7年(1995年)にかけて穴太衆が積んだとされる本丸の石垣が復元され、本丸が整備された。
この本丸が、[[天下統一・蒼の山風 ~陸奥(岩代)~>合戦/1-27]]のモデルとなっている。
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この城は入口に藩政改革と綱紀粛正の戒めが刻まれた「戒石銘碑」があることでも有名である。
これは、5代藩主丹羽高寛が藩儒学者の岩井田昨非の進言により、藩士の戒めとするために刻ませたもので、寛延2年(1749年)3月に完成した。
その内容は、「お前(武士)の俸給は、民があぶらして働いたたまものより得ているのである。お前は民に感謝し、いたわらねばならない。この気持ちを忘れて弱い民達を虐げたりすると、きっと天罰があろうぞ。」と解釈されている。
この戒石銘が二本松藩士の士風を奮い起こしたとされ、戊辰戦争において藩の子弟が二本松少年隊として新政府軍に対して奮戦して士道に殉じ、また重臣の多くが城を枕に自刃して武士の模範を示したことも、この戒石銘の余香であったという。
昭和10年(1935年)12月24日には、教育資料として、また行政の規範として価値の高いものと認められ、「旧二本松藩戒石銘碑」として国の史跡に指定された。
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二本松城は中世城郭の山城と近世城郭の平山城が同じ場所で機能し、その変遷や当時の政治、築城技術を詳しく知ることができる城となっている。
中世から近世へと移行するなかで、城の役割が戦いの場から政治の拠点へと変化していき、多くの場合は政治に便利な場所へと移転するものだが、二本松城は山麓に三の丸を設けることで中世城郭の山城から近世城郭の平山城へと変化させたことが大きな特徴となっている。
図鑑文章で「中世から近世にかけて同じ場所に存続した、東北の中では稀有な城」と言っているが、単に中世から近世にかけて同じ場所に存続した城なら東北地方にも数多くあるので、この山城から平山城への移行のことを指しているのだろう。これは東北地方では[[仙台城]]や[[三春城]]でも見られる。
これらの特徴が評価され、平成18年(2006年)には[[日本100名城]]に選定され、平成19年(2007年)には国の史跡に指定された。
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余談だが二本松は日本三大提灯祭りの一つに数えられる二本松提灯祭りでも知られ、城娘のデザインにも反映されている。
二本松藩では養蚕業が盛んに行われ、隠津島神社の鎮座地である木幡山の「木幡」は「蚕機(こはた)」の謂であるとされ、養蚕の神としても崇められる。
「日影の井戸」は千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」とともに「日本三井戸」と称され、畠山氏が二本松城を築城した応永年間(1400年頃)に造られたとされる。
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|所在地|福島県二本松市郭内|
|現存状態|石垣、堀など|
|城郭構造|梯郭式平山城|
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