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一栗城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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室町時代末期、大崎氏の家臣・一栗高春が築き、中館には高春が、西館には祖父の放牛が居住し、深い谷や断崖で防備を固めたという。
天正18年(1590年)には豊臣秀吉による奥州仕置により主君の大崎氏や、葛西氏が改易されると、代わって木村吉清・清久父子が治めることとなった。
しかし、吉清が厳しく年貢の取り立てや刀狩りを行なうと、葛西氏・大崎氏らの旧臣は葛西大崎一揆と呼ばれる一揆を起こし、蒲生氏郷と伊達政宗が鎮圧にあたることとなった。
高春ははじめ一栗城に籠り政宗を迎え撃とうとしたが素通りされ、政宗が一揆煽動の容疑により氏郷・木村親子らを伴って帰京すると、その隙に放牛とともに佐沼城を占拠した。
高春ははじめ一栗城に籠り政宗を迎え撃とうとしたが素通りされ、政宗が一揆煽動の容疑により氏郷・木村父子らを伴って帰京すると、その隙に放牛とともに佐沼城を占拠した。
政宗が再度出陣すると放牛は数え年で92歳という年齢で討死、高春は落ち延びると最上義光に仕えたと言い、一栗城も廃城に、木村父子は一揆を起こした責で改易となった。

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|所在地|宮城県大崎市岩手山下一栗宿|
|現存状態|なし|
|城郭構造|平城|
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