Top > バスティーユ城塞


*現実の城情報 [#information]

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どうしても牢獄としての印象が強い建築物であるが、城郭都市パリの東部を防衛するための要塞として14世紀後半に築城された正真正銘の城である。主に隅部城塔群によって構成された石造建築だった。
15世紀前半に一度イングランドの侵攻により奪われたパリだったが、在地の民兵(ミリシャ)や住民たちからの強い反発を食らい、イングランド軍はバスティーユ城塞へ一時退避した。
統制能力を失い地元民の協力を得られなかったイングランド軍は結果としてパリを失った。1436年にフランス軍側の手に戻ることとなる。
すっかり牢獄として機能していた当城は1789年7月14日に市民の暴動により襲撃され、これがかの有名な「バスティーユ襲撃事件」((襲撃を先導したのはかのサド侯爵とまことしやかに囁かれているが、革命と彼の関係性は明瞭としない。))として記録に残る。
なお、1899年には地下鉄建築の際に塔の基礎の一部が発見され、アンリ・ガリ公園へ移設された。その概略はバスティーユ広場に記されている。

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|所在地|パリ、フランス|
|現存状態|ほとんど壊滅(基礎の一部がアンリ・ガリ公園へ移設)|
|城郭構造|平城|

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