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テンビー城 の変更点

*現実の城情報 [#information]

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南ウェールズ、ブリストル海峡を臨む港町テンビー(Tenby)に建つ城。テンビーとはウェールズ語で『魚達の小さな要塞』の意。
カタカナで書くと似ているため混同するかもしれないが[[デンビー城]]のDenbighとはまったく別の土地である。
正確な築城時期は定かではないが、12世紀前半のノルマン朝イングランドがウェールズに侵攻したころに築城されたとされる。
その後もウェールズとイングランドの勢力争いの中で何度となくウェールズ側に襲撃された記録が残る。

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1260年の襲撃では城は落ちなかったが城下町が略奪される。これに対して、13世紀後半から領主ペンブルック伯ウィリアム・ド・ヴァランスによって市壁が建設された。
石造りの城壁と塔と門で城下町のほとんどを囲い込んだこの市壁は現在でも残り、その内側を旧市街と呼んでいる。
1328年に市壁の主門を守る門塔が建設される。同じ形の門塔が市壁の南北にもそれぞれ設置されて市壁が完成した。
しかし市壁を作って町の防御力は上がったものの、皮肉にもそれにより城本体の重要度は低下し、14世紀末には元の城の部分はほぼ放置されてしまう。
1457年、ペンブルック伯ジャスパー・テューダーによって市壁の大改修が行われる。この改修で市壁の外側に幅30フィート(約9メートル)の空堀を築く。
さらに市壁自体も10フィート(3メートル)高くし、胸墻や矢狭間を設け、海岸の崖に接する城壁の端側に新しく防御塔を建てた。

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しかしイングランド内戦中の1648年にテンビーは攻撃を受け降伏。追い討ちをかけるように1650年には伝染病が流行し町の人口の半数が死ぬ。
この2つの出来事によってテンビーは衰退した。町を訪れた司祭のジョン・ウェスレーは「旧市街の3分の2は廃墟」と記している。
18世紀に入り、興隆した新興ジェントリー層がテンビーの周辺に別荘を建て始め、町は保養観光地として活気を取り戻した。

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海に向かって突き出した岬の突端に主郭があるが、そこに建っていたはずの城の構造物はほとんどが失われている。
テンビー城の旧主郭には現在テンビーの博物館と美術館があり、その周囲にわずかに見張り塔の残骸と城壁、後代の砲台の一部が残る。
城内の最高点には王配アルバート公(ヴィクトリア女王の夫)を記念する石像が立っている。
逆に市壁は北側の一部が道路の拡張で失われたのを除いてはほぼ完全に残っており、中世の市壁とその内側の旧市街の様相を見ることができる。

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|所在地|ウェールズ、ペンブロークシャー、テンビー|
|現存状態|城壁、城門、見張り台|
|城郭構造|単郭式+市壁|


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