徳川家康配下の「徳川四天王」の一人で、「井伊の赤備え」を率いた猛将として知られる井伊直政の居城。 直政は小田原征伐での功によって上野国に所領を与えられ、当初は箕輪城を居城としていたが、かつての箕輪城の支城であり、三国街道と中山道が分岐する交通の要衝に位置した和田城の地に新たに城を築くこととなった。 慶長3年(1598年)に新城に入った直政は箕輪城から城下町を移し、地名を和田から高崎に改めて領内経営の中心とした。 関ヶ原の戦い後に直政は佐和山城に移り、以後高崎城主は有力譜代大名が歴任し、大河内松平氏の代に明治維新を迎えた。
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