鎌倉時代に築井(津久井)太郎次郎義胤が築いたとの伝承があり、文献上では『妙法寺記』での大永5年(1525年)が初出。 城の周辺には「根小屋」「北根小屋」の地名が残っており、山麓に城主の居館や家臣の屋敷である根小屋を備えた根小屋式山城の代表例といえるが、一方で山上にも居住施設が設けられたことが発掘調査でわかっている。 戦国時代の津久井地域は後北条氏・武田氏勢力の境界にあたり津久井衆が支配していたが、「敵知行半所務」という言葉が表すように半分は後北条氏、半分は武田氏に属していた。 津久井城主で津久井衆筆頭の内藤氏は後北条氏に属し、永禄12年(1569年)の三増峠の戦いでは武田氏に対峙した。 天正18年(1590年)の小田原征伐では徳川勢の本多忠勝や平岩親吉に攻撃され落城、その後廃城となり津久井衆は帰農したとされ、現在も津久井地域には津久井衆の名字が多く残っている。
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