水口岡山城 のバックアップソース(No.3)
*現実の城情報 [#information]

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戦国期の甲賀郡は甲賀衆と呼ばれる小規模な領主が支配していたが、天正13年(1585年)に羽柴秀吉が甲賀衆の改易・解体を行い、家臣の中村一氏に水口岡山城を築かせ、甲賀郡を支配させた。
甲賀衆の城はほとんどが平地部あるいは尾根先端部に位置する小規模なものだったのに対し、水口岡山城は山頂部の大規模な曲輪や山麓部の堀で囲まれた外郭が広がる、甲賀郡では最大、滋賀県内でも最大級の城郭の一つだった。 
一氏の転封後に城主となったのが増田長盛で、文禄4年(1595年)からは長束正家が城主となった。 
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、徳川家康はこの地を直轄支配したが、間もなく水口岡山城は廃城となった。 
寛永11年(1634年)には徳川家光が上洛する際の宿館として、水口岡山城の西に[[水口城]]が築かれている。 
一般的にこちらの家光時代の城が「水口城」と呼ばれるが、豊臣期には水口岡山城を指して「水口城」と読んでいた。 

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|所在地|滋賀県甲賀市水口町|
|現存状態|曲輪、石垣、堀切、土塁など|
|城郭構造|連郭式山城|
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