常陸国の名門佐竹氏の居城。佐竹氏は源義家の三男新羅三郎義光の流れをくみ、その孫昌義から佐竹氏を名乗った。 常陸太田城は天仁2年(1109年)に藤原通延によって築かれたとされ、佐竹氏第二代隆義がこの城に入った際、上空を鶴が舞ったことから「舞鶴城」と呼ばれるようになったという。 以後約470年間にわたる佐竹氏代々の居城となり、佐竹氏中興の祖である第十四代義舜が戦国大名としての基盤を整えた。 「鬼義重」の異名で知られる第十八代義重は常陸太田城を拠点に北関東に覇を唱え、佐竹氏の全盛期を築いた。 第十九代義宣の頃に居城は水戸城に移り、慶長7年(1602年)に出羽国へと転封となった後、常陸太田城は廃城となった。
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