仙台城 のバックアップソース(No.18)
#include(城娘項目,notitle);


#include(城娘ステータス注釈,notitle)

#table_edit2(,table_mod=close){{
|CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|c
|>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''仙台城(せんだいじょう)''|
|&ref(仙台城/仙台城S.png,nolink);|>|BGCOLOR(#111):CENTER:&ref(画像で一覧RE/仙台城.png,nolink);|図鑑No.|007|
|~|>|~|レア|5|
|~|>|~|城属性|&ref(画像置場/平山.png,nolink);|
|~|>|~|令制国|陸奥|
|~|>|~|武器属性|[[刀]]|
|~|>|~|最大レベル|110|
|~|実装日|>|>|旧城プロ|
|~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''|
|~|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''初期配置/&color(Red){最大値};''|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''巨大化4回/&color(Red){最大値};''|
|~|消費気|11|消費気((基本消費気を含みます))|100|
|~|耐久|1899/&color(Red){3614};|耐久|3418/&color(Red){6505};|
|~|攻撃|75/&color(Red){293};|攻撃|123/&color(Red){480};|
|~|防御|67/&color(Red){259};|防御|112/&color(Red){435};|
|~|射程|150/&color(Red){150};|射程|246/&color(Red){246};|
|~|回復|10/&color(Red){32};|回復|10/&color(Red){32};|
//
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[特技]]''|
|BGCOLOR(#FCC):[無印] / 防御強化・弐|>|>|>|自身の防御が27%上昇|
|BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 独眼竜|>|>|>|自身の耐久が15%、防御が27%上昇|
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[計略]]''|
|BGCOLOR(#FCC):[無印] / 仙台七夕祭り&br;(使用まで45秒:消費気7:&color(Red){赤};&color(Blue){青};配置)|>|>|>|攻撃をしない伏兵を配置&br;伏兵の射程(&color(Red){400};)内の城娘の回復が30上昇&br;波終了で消滅|
|BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 仙台七夕祭り&br;(使用まで45秒:消費気7:&color(Red){赤};&color(Blue){青};配置)|>|>|>|~|
//
|>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑文章''|
|>|>|>|>|私の別名、青葉城は、青葉山に&br;建てられたことからついた名だ。&br;&br;地形に恵まれた建築は天守こそ&br;持たなかったが、その堅固な造りは&br;日の本随一とたたえられたものよ。&br;&br;ただし!火事と地震だけは&br;忌むべきものなのだ……!|

}}

|BGCOLOR(#F99):CENTER:120|400|c
|''[[築城]]''|02:50:00|



#style(class=submenuheader){{
-''[[城娘改築]]''
}}
#style(class=submenu){{

}}
#table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=open,calc=1,form=text=|text=|select=_1_2_3_4_5_6_7|select=_3_4_5|select=_1_2_3_4_5_6_7_8_9_10_11_12_13_14_15_16_17_18_19_20|select=_34-5_45-5_57-5_42-6_55-6_70-6_48-7_63-7_80-7_56-8_73-8_93-8_63-9_82-9_104-9_71-10_93-10_118-10_76-11_100-11_127-11_84-12_110-12_140-12_91-13_119-13_151-13_98-14_128-14_163-14_105-15_138-15_175-15_113-16_148-16_188-16,){{
|>|SIZE(13):|>|>|>|>|SIZE(10):|>|>|>|>|>|>|>|>|>|SIZE(13):|c
| | |~レア|~[[&color(White){巨大&br;化数};>巨大化・属性#l379325e]]|>|>|~&size(12){[[&color(White){消費気};>巨大化・属性#i31da6d1]]};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h
|~|~|~|~|~[[&color(White){基本};>巨大化・属性#ubbc4e49]]|~[[&color(White){強化};>巨大化・属性#u2b9a394]]|~&color(White){合計};|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|h
|>|BGCOLOR(#ccc):CENTER:50|>|BGCOLOR(#ddd):CENTER:30|>|>|CENTER:30|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|c
|>|無印|5|4|11|89|@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|1899/&color(Red){3614};|75/&color(Red){293};|67/&color(Red){259};|140/&color(Red){140};|10/&color(Red){32};|3418/&color(Red){6505};|123/&color(Red){480};|112/&color(Red){435};|218/&color(Red){218};|10/&color(Red){32};|
|>|改壱|6|5|10|108|@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|1962/&color(Red){3806};|78/&color(Red){314};|71/&color(Red){286};|140/&color(Red){140};|10/&color(Red){33};|3924/&color(Red){7612};|140/&color(Red){565};|131/&color(Red){529};|238/&color(Red){238};|10/&color(Red){33};|
}}



#style(class=submenuheader){{
-''ステータス一覧(クリックで展開)''
}}
#style(class=submenu){{
#include(仙台城/ステータス,notitle)
}}


//-''[[城娘改築]]''
//#table_edit2(,table_mod=close){{
//||~レア|~&size(10){消費気};|~&size(10){巨大&br;化数};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h
//|~|~|~|~|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~射程|~回復|h
//|BGCOLOR(#ddd):CENTER:50|>|>|CENTER:30|>|>|>|>|>|>|>|>|>|CENTER:SIZE(10):60|c
//|無印|5|12|4|1868/&color(Red){3278};|74/&color(Red){250};|66/&color(Red){221};|140|10/&color(Red){28};|3362/&color(Red){5900};|121/&color(Red){410};|108/&color(Red){361};|218|10/&color(Red){28};|
//|改壱|6|11|5|1931/&color(Red){3460};|77/&color(Red){270};|70/&color(Red){245};|140|10/&color(Red){29};|3862/&color(Red){6920};|138/&color(Red){486};|126/&color(Red){441};|238|10/&color(Red){29};|
//}}

*ゲーム上の性能・評価 [#evaluation]
-概要
前作では[[千代城]]から改築できた☆5の刀城娘で、当時の耐久の高さは継承されている。
基本性能は高い部類で、特に初期耐久は最高クラスと言っても過言ではない。
ただ評価されづらい防御重視タイプなため、ライバルひしめく平山属性ではやや影が薄くなりがち。
改築するとより差別化が極まるので、余裕があるなら早めに改築しておきたい。
 
-特技「防御強化・弐」→改壱特技「独眼竜」
防御を27%上昇させるバフ特技。改壱では元より高い耐久値を伸ばす''耐久+15%''を得る。
このため刀の中でも耐える力はトップクラスで、状況次第では十分大黒柱になりうる性能を持つ。
改築後は巨大化5回分のステータスが基本となり、基本コストも下がるため、デコイ役もこなしやすくなる。
ただし耐久強化の数値自体は低めなので、序盤に刀を最大化する必要があるマップを除いて過信はしづらい。
 
-計略「仙台七夕祭り」
回復を30増加させるトークンで、近接・遠隔問わず配置可能。当初は使い勝手が劣悪だったが、二度の上方修正で及第点に。
配置が自由なわりに効果範囲が広く、回復補助だけでなく手軽なデコイ的な立ち位置も獲得している。
また、歌舞での回復が合わない時は代用品としても使える。特に歌舞を無力化する犬神の対策として、回復強化戦法が考案されている。
ただし自分だけでどうこうするというよりは、他の回復強化を持つキャラとの連携を重視するのが基本だろう。
 
-性能の変遷
#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){詳細(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
-2016年9月20日:計略の上方修正
--トークンのパラメータ上方修正(回復上昇量、耐久、防御)。
--トークンの配置場所を遠近に変更
-2018年01年16日:CTを短縮(60秒→45秒)
--伏兵の特技「回復上昇」効果を上方修正(20→30)
--特技:25→27%
}}


*キャラクターボイス [#voice]

CV担当:[[佐倉綾音>http://www.imenterprise.jp/data.php?id=86]]

#region(←クリックすると台詞一覧が表示されます。)

#table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{

※計略のない城娘の計略発動ボイスなど、通常流れないボイスはゲーム内の図鑑で聞くことができます。
|SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c
|入手|入手|日の本最大規模を誇る五城楼、陸奥国仙台城なり。&br;殿のために粉骨砕身、尽くそうぞ。&br;よろしく頼む。|
|所領|所領1|私のような武芸を追及する者は、もう時代遅れかと思っていたが……兜が現れた……私にまだ生きろと言われるか。|
|~|所領2|眺瀛閣から見る城下の景色は絶景なのだ。是非殿にも見せてやりたいの。暇な時があったら付き合ってくれ。|
|~|所領3|また山形城と久保田城から果たし状が来ておるのか……やれやれだな。後日決闘してやると伝えておいてくれ。|
|~|変身|戦闘形態に切り替える。|
|~|変身解除|仙台城、戻ったぞ。|
|出陣|出陣|殿に刃を向けた事、後悔させてやろう。|
|~|委任出撃|ふっ、よかろう。私に任せておけ。|
|~|編成1|愛馬五島を持て。さあ、任を下されよ。|
|~|編成2|奥州伊達者の力、存分に見せつけてくれようぞ。|
|合戦|つままれ|ろっ!?|
|~|配置|私に歯向かおうとは、笑止千万!|
|~|選択|全軍、生きて帰るぞ!|
|~|巨大化|独眼流の剣技、とくと味わえ!|
|~|特技発動|名刀国包(くにかね)、伊達ではないぞ!|
|~|計略発動|無理無理無理ぃ!|
|~|大破|そんな縛りでは抜けるぞ。もっときつく縛れ!|
|~|勝利|伊達家戦勝、三本締めじゃ! よぉー!|
|その他|合成|また火事になっては目も当てられんからな。|
|~|放置|実は酒が弱くてな。勝利する度に祝杯を挙げていては、体が持たん。|
|~|おかえり|帰還されたか。安心しろ、謀反は無かった。|
|~|ありがとう|かたじけない。|
|~|出陣画面(図鑑未登録)|いざ、心の月を照らしていくぞ!|
}}

#region(←クリックすると贈り物イベント、台詞一覧が表示されます。&color(Red){ネタバレ注意};)
#table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{
|SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c
|イベント1|BGCOLOR(#fbd):政宗に負けないよう頑張る。|その心意気、実に天晴れ。|
|~|政宗にはかなわないかも。|なにを気の弱いことを……。|
|イベント2|BGCOLOR(#fbd):こちらこそよろしく。|う、うむ。よろしくな……。|
|~|距離感も大切だ。|そ、そうか。つまらぬことを言ったようだ。|
|イベント3|7月7日頃だろ。|残念。実は月遅れの8月なのだ。|
|~|BGCOLOR(#fbd):8月7日頃かな。|殿に対しては愚問だったようだな。|
}}

#endregion
#endregion
*画像 [#image]
イラストレーター:[[イセ川ヤスタカ(ななしな)>https://twitter.com/_nanashina_]]

|&attachref(./sendai.jpg,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){入手}};|


#region(&color(Red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''};)
|&ref(仙台城/仙台城 御嬢.png,50%);|&ref(仙台城/仙台城 城娘.png,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};|

#region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
大破、特技画像
|&ref(仙台城/仙台城_半壊.png,50%);|&ref(仙台城/仙台城 必殺技.png,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};|
#endregion
#endregion

***改壱 [#b3124497]

#region(&color(Red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''};)
|&ref(仙台城/仙台城 御嬢.png,50%);|&attachref(./仙台城改壱 城娘.png,50%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};|

#region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''})
大破、特技画像
|&attachref(./仙台城改壱 大破.png,50%);|&attachref(./仙台城改壱 特技.png,40%);|
|CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};|
#endregion
#endregion

//|&ref(仙台城/仙台城 SD.png,むぉっ);|&ref(仙台城/仙台城 SD2.png);|
*城娘の元ネタ情報 [#note]

【デザイン】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){眼帯(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
言わずもがな仙台城城主・伊達政宗をイメージしたものだと思われる。
ただし実際には黒い眼帯ではなく「白き布にて右目を隠し」(『佐竹家文書』)、「艶やかな紅白の眼帯」(『伊達家文書』)などと記述されている。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){頭の%%イカ%%帽子(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
本丸にあった大広間の(多分)破風(はふ)という部分と思われる。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){肩から腕の掛け布(?)の柄(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
宮城県の県花のミヤギノハギと思われる。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){腰布(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
1.狩野左京(かのう さきょう)が描いた本丸大広間の壁画「仙台城本丸大広間障壁画鳳凰図」
2.東東洋(あずま とうよう)が描いた二の丸壁画の一部「松に山鳥図」
-この内どちらかをモチーフにしていると思われる。おそらく1。
--1の場合、見えない部分に鳳凰が描かれていることになる。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){御嬢の服(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
着物の柄はおそらく仙台出身の画家、菅井梅関(すがい ばいかん)の作品「梅月図(ばいげつず)」がモチーフか?
}}

}}}

【特技・計略】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){独眼竜(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
戦国大名・伊達政宗のあだ名として一般的に知られている。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){仙台七夕祭り(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
宮城県仙台市で開催される東北三大祭りの一つ。
仙台における七夕は伊達政宗が七夕を祝うことを奨励したことがその始まりとされるが、これが事実であるかははっきりしていない。
しかし、仙台藩では天明の大飢饉に際し藩をあげて大々的に七夕が祝われたことが記録として残されており、いつ頃かまではわからないものの、七夕を祝う風習自体は定着していたと見られる。
現在の七夕祭りの直接の起源は、昭和2(1927)年仙台市中心部の商店街が華やかな七夕飾りを作り、商店街を飾ったところ多くの見物客が集まり賑わいを見せたことと見られる。
翌年にも月遅れ七夕にこの飾りの出来を競うコンクールとあわせて飾りが多数飾られ、以降、仙台における夏のお祭りとして定着した。
戦争によって一度中断したものの、戦後には復活、東北三大祭りの1つとして数えられるようになると全国から観光客が集まる大々的イベントとなった。
現在では、中心部の商店街の地位低下などもあり昔ほどの規模ではなくなってはいるものの、仙台内外の企業や商店街の店舗を中心に提供された七夕飾りがアーケードを彩り、多くの観光客で賑わいを見せている。
}}

}}}
【セリフ】
#style(style=padding-bottom:.5em;){{{

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){実は酒が弱くてな(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
伊達政宗は大の酒好きで城内に醸造所を作り、杜氏を招聘したり醸造技術を学ばせに人を派遣するなど酒造りに凝っていた。
一方であまり酒には強くなく、江戸時代には徳川秀忠との面会の約束を二日酔いですっぽかす、徳川家光の前で酔って寝てしまうなど酒の失敗談が複数残されている。
ちなみに、伊達政宗は料理が趣味であったことから、酒だけでなく味噌や醤油も城内で醸造させたことが知られている。
特に味噌は、これが国内初の味噌の大規模生産であるとも考えられており、後には江戸詰の藩士のために品川の大井下屋敷内でも味噌を作り、一部を味噌問屋に卸して財政の足しにしたため、江戸で仙台味噌が知られるようになった。
仙台藩による江戸の味噌製造は明治になると仙台で味噌や醤油の醸造を行っていた八木氏に払い下げられ、これは現在でも仙台味噌醸造所として下屋敷のあった仙台坂の上で続いている。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){眺瀛閣(ちょうえいかく)から見る城下の景色は絶景なのだ(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
本丸にある、清水の舞台のような崖に迫り出すように作られた懸造(かけづくり)の建物の事。外にせり出すように作られているので、防衛時、ここから下の敵兵に向かって鉄砲を撃つ予定だったとも。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){私の様な武芸を追及する者は、もう時代遅れかと思っていたが…(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
実は伊達政宗が「この城は泰平の世には向かん。わしが死んだら修築しろ」と言い残したという逸話がある。
その逸話を裏付けるように忠宗の時代には「''何で出勤の度に登山しなきゃならんのだ''」という理由で、1637年(寛永14年)より二の丸(執務用)、続いて三の丸(米蔵用)と造営した。特に三の丸は殆ど平地にある。
なお、伊達政宗自身も戦国時代末期の急激な軍事的拡大や江戸時代以降も天下を窺う素振りを見せたりと武辺者という印象が強いが、文芸面へのこだわりも半端ではなく、それ故に時の支配者達に気に入られたのである。
特に和歌では秀吉時代の歌会で最高の評価を得たり、漢詩についても司馬遼太郎が著作でその才を認めている。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){愛馬後藤を持て(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
伊達政宗の愛馬、後藤黒(五島黒とも)の事。
大阪の陣で高齢の為置いて行かれたショックで、本丸の崖より''飛び降り自殺をした。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){無理無理無理ぃい!!(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
元ネタはJOJOの奇妙な冒険の登場人物ディオorDIOが度々連呼するセリフ「無駄無駄無駄ァ!」と掛けているものと思われる。作者である荒木飛呂彦が宮城県出身だからか?。
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){名刀クニガネ、伊達ではないぞ!(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
伊達政宗が所有していた刀の一つ、「山城大掾藤原国包(やましろだいじょうふじわらのくにかね)」のこと。
刃長73.2センチ(一関博物館のページより参照)の打刀。&color(Gray){どう聞いても「クニガネ」と言ってる。};
}}

#style(class=submenuheader){{
&color(Black,gainsboro){伊達家戦勝、三本締め(クリックで表示)};
}}
#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
伊達家では戦に出陣する際の鬨として用いられた特別な三本締めが代々伝承されている。
現在でも、伊達家関係者が集まる際にはこれが行われているとされ、仙台市が観光用に伊達武将隊を編成した際には、伊達家現当主直々にこれを伝授されている。
また、これとは別に伊達政宗が縁起担ぎとして行い、家中で広まった一本締めも存在し、これは伊達家では直接伝承せず、伊達家縁の寺社である円通院で伝えられている。
}}

//#style(class=submenuheader){{
//&color(Black,gainsboro){○○○(クリックで表示)};
//}}
//#style(class=submenu,style=padding-bottom:.9em;){{
//○○○
//}}

}}}
*現実の城情報 [#information]

//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです)

関ヶ原の戦いの後、伊達政宗は徳川家康の許しを得て[[千代城]]があった青葉山に居城を移すことにした。
慶長6年12月24日(1601年1月28日)に青葉山に登って縄張りを始め、地名を仙臺(新字体:仙台)と改めたが、青葉山に因んで[[青葉城]]と呼ばれることもある。
彼が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、天守台はあるが幕府に遠慮したのか天守は持たなかった。
本丸御殿も[[二条城]]などのような雁行形の構成ではなく、桃山風の特徴を持つ古風な形態だった。
#br
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){続きをクリックで表示};
}}}
#style(class=submenu){{{

これらの点で時代の流行に背を向けたが、結果として仙台城は62万石の大名にふさわしく、ビスカイノをして「日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ」と言わしめるほど、同時代に比類ない堅城となった。
しかし、世が泰平となると、山上と麓の往来は不便であったため、伊達忠宗が寛永14年(1637年)に二の丸造営に着手し、翌年完成させた。
本丸と同じく広瀬川の内側にあるが、土地は平坦な場所である。伊達家の当主はここに居住し、政務もここで執られた。
時期は不明だが、これと前後して大手門脇、青葉山の麓に三の丸が作られた。これ以降、仙台城は山城から平山城となった。
#br
明治4年(1871年)に東北鎮台が仙台城を本営にして駐屯した。このとき本丸が破壊され、石と木が兵舎建設に流用された。
のちに東北鎮台は仙台鎮台と改称した。さらに鎮台制が師団制にかわると、第二師団が置かれた。
#br
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)7月10日未明、アメリカ軍による仙台空襲の際、米軍のB29により投下された焼夷弾により、大手門、脇櫓(隅櫓)(当時国宝)、衛兵所に使用中の二の丸表舞台楽屋などが全て焼失し、護国神社も焼失した。
これにより、江戸時代から伝わる建物は三の丸の巽門(たつみもん)のみとなった(この日の戦災で焼失したという説もある)。
#br
戦後、第二師団の跡地にアメリカ陸軍が進駐し、トラックの通行を可能にするため、三の丸巽門が破却されたことにより仙台城跡にあった現存する江戸期の建築遺構はすべて失なわれた。アメリカ軍は昭和32年(1957年)にここを返還した。
#br
仙台駅からほど近い川内という場所に位置し、青葉城という名でも観光地として有名。
元々広大な敷地であり、二の丸は東北大学川内キャンパスの敷地内にある他、三の丸は現在の仙台市博物館に位置している。
本丸敷地に関して現在は仙台市と護国神社が管理している。

}}}

|BGCOLOR(#ddd):80|300|c
|所在地|宮城県仙台市青葉区川内|
|現存状態|石垣、土塁、堀|
|再建物|脇櫓|
|城郭構造|連郭式平山城|
#br
#style(class=submenuheader){{{
&color(White,Maroon){愛馬「五島号」(クリックで表示)};
}}}
#style(class=submenu){{{
**愛馬「五島号」 [#s2edd3ac]

政宗公が乗っている馬は、家臣の後藤信康からの献上馬で「五島号」という。
五島の家来に新蔵という馬の育て方がうまい者がいて、その中でも良く出来た馬を献上したらしい。
昔から奥州は馬の産地として有名であり奥州馬として武将に人気があった。その昔、源頼朝にも献上されたという話がある。
政宗公は若い頃、戦に出かけるときはいつも五島号に乗っていたが、大坂の陣のときはさすがの五島も老齢(25歳前後)で、「此の度の戦は長旅になる、そちも老齢の故、今回は留守を申しつける」と言い残して政宗公は大阪に出発していった。
残された五島号は、自分はもう昔のように政宗公のお役に立つことは出来ないのかと悲観し、馬屋を飛び出して崖から飛び降りて死んでしまったという。
(出陣できなかった後藤信康が、抗議のために乗って飛び降りたという説もある)
大阪から帰ってきてこれを知った政宗公は五島号を哀れに思い、飛び降りた場所が「蛎崎」という所だったため、そこへ蠣崎神社を造って祀り、追廻(馬の訓練場だった)の馬の守り神とした。
明治に入って軍が一帯を管理し始めると、明治18年(4年の説もある)に片平丁に移転させられ、元の場所には小さな祠が残された。
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後藤黒と表記している方もおられますが、神社に
>藩祖政宗公に功臣後藤信康が献じた五島という愛馬があった。
年老いて慶長十九年(1614)十月公の大坂出陣に洩れた事を悲しみ本丸の崖から飛下り死亡した。
依ってその地蛎崎に葬り馬上蛎崎神社を建てゝ祀り追廻馬場の守護とした。
明治四年片平町の良覚院跡に移して社殿成り桜田如水を宮司として市民の間に五島墓(ごとはか)さんと称して親しまれた。
古来旧三月十五日草餅を笹に付けて門口に挿し病送りとする梅若のコトの日を祭日としたが後ち八月一日二日に改めた。
子どもの馬脾風(ばひふ)〔ジフテリア〕除けの信仰があり胡桃を奉納する。

と表記されてますので、当wikiは五島で表記しました。

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