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雫石城
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現実の城情報 Edit

足利氏の別流として別格の家格を誇り、室町幕府三管領家の筆頭でもある斯波氏の一族、奥州斯波氏の一門が拠点とした城。
南北朝の動乱時代、興国元年・暦応3年(1340年)に北畠顕信が陸奥に入り、南部政長が磐手郡西根を北朝方を破り西根要害を構築したことを賞しており、この西根が滴石の西根を指すか八幡市西根を指すかは意見が分かれている。
顕信は貞和2年(1345年)~観応2年(1351年)頃まで滴石に滞在しており、滴石は南朝方の拠点として機能し、この頃に現在は滴石古館と呼ばれる平地の館が築かれたとされる。また平時の統治拠点とは別に、背後の山に大館と呼ばれる山城が築かれた。
また滴石では戸沢氏が南部氏や河村氏などとともに南部方として活動していたが、後にその一族が出羽の門屋へと移り、戦国時代には角館城を本拠とする戦国大名に成長している。


所在地岩手県岩手郡雫石町
現存状態堀、土塁など
城郭構造平山城

コメント Edit

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  • 雫石城は天然の雫石川と人工の濠を利用した難攻不落の城であったようです。川から濠に至るまでの流れを巧妙に偽装し、さらに取水口の上に茶屋を建てて武士の奥さんを女将にして水の番をさせていました。これによって常に水を湛えた厚い守りを敷いていました。 -- 地元殿? 2019-04-17 (水) 18:54:31
    • 雫石城の濠に幾度となく辛酸を舐めてきた南部は濠を塞き止める作戦に出ましたが、この偽装のために失敗に終わっています。 -- 地元殿? 2019-04-17 (水) 18:55:06
  • このとき、南部の間者がお茶屋を怪しみ、情報を聞き出そうとあの手この手を女将に仕掛けましたが、女将は「よしゃれ(よしなさい)」と一蹴し秘密を守りぬいたエピソードから、現代まで伝わる「雫石よしゃれ」の唄が誕生しました。 -- 地元殿? 2019-04-17 (水) 18:55:42
  • しかし最期には内通者によって堀の秘密が漏れ、雫石城は陥落することになりました。 -- 地元殿? 2019-04-17 (水) 18:57:21
  • ちなみに少し前にバズった「水を吐くフグ」もこの町です -- 地元殿? 2019-04-17 (水) 18:58:19
  • 石が零とかソシャゲ的には大惨事な名前だな -- 2019-04-17 (水) 19:03:23
    • ×零 ○雫 -- 2019-04-17 (水) 19:08:18
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