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金石城
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現実の城情報 Edit

対馬を支配した宗氏の居城で、海上交易の中継地点として、また日朝国交において重要な役割を果たした城。
宗氏は秦氏の末裔・惟任氏の一族で、平安時代から在庁官人として対馬を支配し、南北朝時代には対馬守護代、室町時代には対馬守護となって代々対馬を拠点とした。
『宗氏家譜』によると享禄元年(1528年)に内紛で館が焼失したため、14代当主将盛が金石屋形を築いたとされる。
20代当主義智は豊臣秀吉から文禄・慶長の役における交渉役を命じられ、秀吉は対馬における拠点として清水山城を毛利高政に築かせ、その麓に位置する金石屋形は義智によって近世城郭へと改修が進められた。
九州と朝鮮半島の中間に位置する対馬において、古代より朝鮮との交易の要衝であった厳原港の付近に立地し、背後の清水山城を詰城とすると平地の居館にあたり、三角形の縄張の前面に金石川が流れ天然の堀となっていた。


所在地長崎県対馬市厳原町
現存状態石垣、庭園など
城郭構造平城

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  • 今年(2022)の博多祇園山笠で、初代藩主・宗義智公が題材になりました。三番山笠 大黒流 勇猛漢周而不比(ゆうもうのかん しゅうにしてひず) -- 2022-12-28 (水) 20:29:22
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