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赤穴城
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現実の城情報 Edit

赤穴城(あかなじょう)は島根県飯石郡飯南町(出雲国飯石郡)にあった山城で、尼子十旗の一つとしても数えられた。
武名ヶ平山から飯南町中心部に向かって西に伸びる尾根の先端の頂上付近にある石垣で固められた南北2つの郭と、尾根筋に沿って広がる堀切を交えた小郭群で構成されている。
主郭が石垣で固められているのは堀尾氏の時代に手が入った証左とされ、一方で小郭群は戦国期の姿をとどめていると考えられている。
赤穴荘は元々は紀氏の荘園であったというが、南北朝期に三善清行の子孫という石見国佐波荘の国人佐波実連の次男佐波常連が地頭となり、その拠点として永和3年(1377年)に赤穴城を築いたとされている。


所在地島根県飯石郡飯南町下赤名
現存状態石垣、堀切
城郭構造山城

赤穴盛清の義 Edit

永禄5年(1562年)の毛利氏の侵攻において、開城を考える赤穴盛清に対し老臣森田左衛門などが毛利氏との決戦を主張し、盛清が開城すると、彼らは城を出て領内に散らばり各地で一揆を起こしたという。
このことについて盛清は毛利氏によって叱責を受けることとなったが、盛清は
「家名を保つために主君(尼子氏)を裏切った自分に非があることであり、彼ら(森田左右衞門ら)こそ真の忠臣である」
と答え、これを聞いた毛利元就は
「盛清も義者であるし、森田らも伯夷、叔斉のような忠義を厚くする者であるのだな」
と感嘆したという。その後を見る限り、盛清は特に咎めを受けることはなかったようである。

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