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薩摩吉田城
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現実の城情報 Edit

内城が言及する城。
内城主島津義久の弟で、「始終の利害を察するの智計並びなく」と祖父忠良に評された歳久の居城で、松尾城ともいう。
室町時代に吉田氏が築いて代々の居城とし、永正14年(1517年)に島津忠隆が攻略してからは島津氏が支配し、蒲生合戦で功のあった島津歳久が永禄6年(1563年)に吉田に領地を与えられ吉田城主となった。
周囲を切り立った崖に囲まれた天然の要害で、「物の見事は吉田の城よ、前は大川後は山」とうたわれた。
歳久は天正8年(1580年)に祁答院に移って虎居城を居城とし、吉田城は島津宗家の直轄となった。

所在地鹿児島県鹿児島市東佐多町
現存状態堀、土塁など
城郭構造連郭式山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 棒踊り、鎌ん手踊りの歌の元唄ですね。オセロが山で後ろが山で前が大川。後ろが山で前が大川。大川とは錦江湾のことでしょうか?それともお城の前の本名川と思川のことでしょうか? -- ego? 2017-09-07 (木) 21:42:42
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