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菅谷館
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現実の城情報源頼朝の忠臣として鎌倉幕府の創立に貢献し、「坂東武士の鑑」と称された有力御家人・畠山重忠の居館。 続きをクリックで表示 元久2年(1205年)、 重忠は鎌倉幕府の執権・北条時政の謀略によって討ち取られ、畠山氏の名跡は足利義純が継承し、のちに室町幕府三管領の一つとなる源姓畠山氏が成立した。 以後菅谷城は山内・扇谷の両上杉氏の境目の城として改修され、さらに後北条氏が大きく増改築したとされる。 やがて関東では両上杉氏の対立という構図から、両上杉氏と古河公方が連携して後北条氏に対抗するという構図へと移行し、主戦場が武蔵東部から武蔵南部・相模へと移ったことで、菅谷城が位置する武蔵北西部では扇谷上杉方の武蔵松山城と後北条方の河越城が局地的・直線的に睨み合うような関係となった。 昭和48年(1973年)、菅谷館は「菅谷館跡」として国の史跡に指定され、平成20年(2008年)には武蔵松山城・杉山城・武蔵小倉城とともに「比企城館跡群」として改めて国の史跡に指定され、平成29年(2017年)には続日本100名城に選定された。
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