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縣延岡城
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現実の城情報 Edit

江戸時代を通じて縣藩(のちの延岡藩)の藩庁となった城で、「縣城」「亀井城」とも呼ばれる。
縣の地は平安時代から土持氏が治めていたが、天正15年(1587年)の豊臣秀吉による九州征伐後に高橋元種が所領を与えられ、当初は縣松尾城に入ったが慶長6年(1601年)に縣城の築城を開始し、慶長8年(1603年)に完成すると居城を移した。
縣城は五ヶ瀬川と大瀬川の2つの川に囲まれた中州の標高53メートルの丘陵上に立地し、以前からあった土持氏の古城を近世城郭に改修したとされる。丘陵頂部の本丸を中心に二の丸・三の丸からなる本城と、そこから西側に位置する小丘陵に築かれた西の丸で構成された。
二の丸に築かれた高さ22メートルの高石垣は「千人殺しの石垣」と呼ばれ、礎石を外すと石垣が崩れ落ち多くの敵を倒す仕掛けになっていたとの伝承がある。
城の南と北を流れる河川を天然の水掘とし、河川から水を取り込んで丘陵の裾に内堀が巡り、城の東には南北に伸びる堀と土塁を挟んで城下町が整備された。


所在地宮崎県延岡市本小路
現存状態石垣など
城郭構造平山城

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