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結城白川城
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現実の城情報福島県白河市藤沢山にあった山城。下総を本拠とする結城朝光が文治5年(1189年)に源頼朝から白河荘を与えられ、その孫で白河結城氏の祖となる祐広が鎌倉時代の13世紀後半に築城したという。ただし詳しい築城・廃城年代ともに不明。搦目城・白川(白河)城ともいう。 続きをクリックで表示 結城白川城は阿武隈川右岸の標高約400メートルの丘陵上に築かれ、丘陵西側の頂上部は御本城山と呼ばれ主郭が置かれていたと考えられる。 これらの発掘調査で結城白川城は南北朝時代から戦国時代にかけての遺構が良好に残っていることが確認され、南北朝時代以降に陸奥南部から北関東にかけて勢力を有し繁栄を築いた白河結城氏の本拠としてふさわしい城であると明らかになったことで、平成28年(2016年)に「白川城跡」として国の史跡に指定された。 城の北東部の断崖には、文化4年(1807年)に地元の大庄屋内山官左衛門重濃が掘らせた磨崖碑である感忠銘碑が存在する。これは結城宗広とその子で楠木正成らとともに「三木一草」と称される結城親光の後醍醐天皇に対する忠烈を後世に伝えるためのもので、題字の「感忠銘」は白河藩主の松平定信が書き、文章は白河藩校の立教館教授である広瀬典が、書は立教館習書局の習書師である賀孝啓による。
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