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砂越城
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現実の城情報 Edit

大宝寺城を本拠とした出羽庄内地方随一の名族である大宝寺氏の庶流・砂越氏の居城。『石黒家記』によると砂越氏以前には石黒氏が居住しており、石黒氏が松山に移ると砂越氏が入ったという。
砂越城を拠点として勢力を拡大した砂越氏だが、嘉吉3年(1443年)に砂越氏信の代で斯波氏に砂越城を落とされ一時断絶している。砂越氏は斯波氏の祖である足利家氏から数えて第4代の矢口氏益が家督を継いで再興した。
砂越氏が大宝寺氏に匹敵する勢力を持ったのは氏益の子・砂越氏雄の代で、永正年間には大宝寺氏と激しく対立した。氏雄は一度は大宝寺澄氏を破ったものの、永正10年(1513年)に大宝寺城攻めに敗れて討死し、逆に澄氏に砂越城を落とされ砂越氏は再び断絶した。
永正15年(1518年)、大宝寺氏の一族である氏維が砂越城代となって砂越氏は再興されたが、氏維は本家である大宝寺氏からの独立傾向を強め、天文年間にはまたも大宝寺氏と砂越氏の対立が激化した。氏維は大宝寺城を焼き討ちして大宝寺氏は尾浦城に移り、庄内地方は北部を砂越氏が、南部を大宝寺氏が支配するようになった。


所在地山形県酒田市砂越
現存状態堀、土塁など
城郭構造平城

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