Top > 石見七尾城

石見七尾城
HTML ConvertTime 0.082 sec.

現実の城情報 Edit

益田城とも呼ばれたこの城は、藤原氏の後裔とされる益田氏によって鎌倉時代に築かれたとされている。
益田氏は藤原忠平の9代孫という藤原国兼が石見守として赴任し、任期後も京に戻らず御神本氏を名乗り土着したことに始まるという。
その後、地域の有力者と結びつき、地方武士団として成長していったものと考えられる。
4代目御神本兼高は治承・寿永の乱で源頼朝側として一ノ谷の戦いに参戦し石見国の押領使に任ぜられ、さらに壇ノ浦の戦いでも大きな戦功を上げ、旧領と恩賞をあわせ石見国随一の御家人として地位を高めた。
兼高は元々の拠点である御神本から益田の三宅土居屋敷に居館を移し、益田姓を名乗った。そして屋敷の詰めの城として築かれたのがこの城である


所在地島根県益田市七尾町
現存状態曲輪、堀切
城郭構造山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • それっぽくなってきた -- 2017-11-15 (水) 12:29:00
お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White

}}}



ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS