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百地丹波城
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現実の城情報 Edit

室町時代、百地氏によって築かれたとされる丘城で、伊賀流忍術の祖・百地丹波が城主だったともいう。百地砦とも。
館跡だとされる青雲寺から東へ続く尾根を利用されており、東側の土塁が分厚く高くなっているが、南側の土塁は低く、一部がないため、往時は塀があったとも考えられている。
虎口は東側と北側にあり、東側には堀切を経て、曲輪が三段に築かれており、城跡は市内でも有数の規模であったとされる。
百地家の菩提寺でもある青雲寺には、百地丹波と恋仲になったために、百地丹波の妻に殺された式部という女性を弔ったとされる式部塚があり、縁切り祈願のお参りが現在も行なわれている。


所在地三重県伊賀市喰代字城谷
現存状態曲輪、空堀、堀切、土塁
城郭構造丘城(平山城)

コメント Edit

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  • 城主の名前がそのまま城の名前なん?珍しいね -- 2017-05-03 (水) 18:16:37
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