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板付
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現実の城情報 Edit

昭和53年(1978年)、「縄文晩期の水田発見―『稲作は弥生時代から』の定説を覆す」「『稲作は縄文終末期から』に物証」と新聞で大きく取り上げられ、考古学上重要な遺跡となった。
環濠集落が形成される以前より板付遺跡北台地を拠点とし、徐々にその集落規模を拡大、濠を巡らせる環濠集落へと成長した。
突帯文土器単純期(メディアは縄文晩期としている)にあたる弥生早期の時代に水田で栽培されたとされる炭化米が出土する。その他、杭や堰き止め用の矢板、農耕具、甕棺や包丁なども出土している。
本当に稲かの検査にはプラントオパール分析や花粉分析、種子分析が実施された。コナギ、コゴメガヤツリ、ノシノフスマなど水田雑草が次々と検出され、間違いなく水稲農耕があったことを証明した。


所在地福岡県福岡市博多区板付3丁目
現存状態弦状濠、環状濠、水田跡、貯蔵穴など
城郭構造環濠集落

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • こんな感じっすかね。完全地元ではないにしろ、地元の県なので一応書いてみましたが。 -- 神籠石の人? 2017-06-15 (木) 21:07:46
    • おー、福岡県が地元だったんですね。通りで古代山城に造詣が深いわけですな -- 2017-06-15 (木) 22:49:15
      • 対馬寄りの九州、特に福岡は古代山城の温床ですからね。戦国時代の名城がわんさかの華やいだ関西関東とは違い、ちょっと嗜好の違う趣があって面白いなーと。 -- 神籠石の人? 2017-06-15 (木) 23:06:19
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