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木幡山伏見城
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現実の城情報 Edit

指月伏見城が慶長伏見地震によって倒壊した後、豊臣秀吉が直ちに場所を移して再建した、第3期にあたる伏見城。
指月の岡の北東に位置し、東山丘陵の最南端にあたり宇治川に面する木幡山に、より本格的な城郭として築かれた。
木幡山伏見城は大坂城とともに豊臣政権の中核的城郭となり、城下には諸大名が屋敷を構え、秀吉晩年の居城となったが、秀吉は慶長3年(1598年)に在城わずか4年で死去した。
翌年には徳川家康が入城し、『多聞院日記』では家康の伏見入城を「天下殿ニ被成候」と記し、木幡山伏見城が天下人の城として認識されていたことがうかがえる。しかし、その家康もすぐに大坂城へと移った。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際には、家康の家臣鳥居元忠が城代となり1800の兵で守っていたが、宇喜多秀家を総大将とする西軍4万に攻められ落城、全焼した。


所在地京都市伏見区桃山町
現存状態石垣、堀など
城郭構造梯郭式平山城

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  • この城は確実に☆7だよな -- 2018-02-08 (木) 22:30:07
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