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新井城
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現実の城情報 Edit

相模三浦氏の本拠地である三崎城を構成していた外城で、後北条氏によって三崎城から分かれたと考えられている。
伊勢盛時(北条早雲)によって三崎城が攻められた際には三浦義同・義意父子が新井城部分で籠城したが陥落し、相模三浦氏は滅亡した。
この時義同をはじめとする一族は討死、あるいは海へと身を投げ、海一面が油を流したように真っ黒に染まったことから油壺という地名になったとされ、油壺城の別名の由来にもなっている。
後北条氏時代、三崎城が三浦郡支配と江戸湾警備の重要拠点となったのに対し、新井城は諸磯の隆起海岸や城ヶ島が視界を遮っているため江戸湾を監視するのには適さず、三崎城の避難所や物資の保管所として用いられたとされる。

所在地神奈川県三浦市小網代
現存状態堀切、土塁など
城郭構造平山城(海城)

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 新井が悪い -- 2017-11-21 (火) 12:15:14
    • カープの危機なのだ -- 2017-11-21 (火) 14:01:54
  • 北条早雲の関東進出の第一歩、相模統一の最後最大の障壁。三浦道寸の籠る、三方を海に囲まれた新井城。関東は近接水城少ないから、金砕棒を振るって奮戦、玉砕した剛力無双の三浦荒次郎義意モチーフで槌で実装されんかのう -- 2021-10-08 (金) 19:10:34
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