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大野城
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現実の城情報 Edit

大野城(おおのじょう/おおののき)は太宰府市・大野城市・糟屋郡宇美町にまたがる四王寺山に築かれた日本最古の古代山城(朝鮮式山城)となる。城の名前がそのまま地名となった例の一つである。
『日本書紀』に記されている通り、天智天皇2年(663年)、白村江(百済)にて唐・新羅の連合軍に敗れた大和朝廷は朝鮮半島より撤退し、この先おとずれるであろう大陸からの侵略に対し国防に注力する。
まずは百済からの帰化人(亡命した官人)を技術者として起用し、侵入経路としてもっとも容易な平野部、筑紫野地峡帯に遮断城の水城(みずき)を築いた。木樋から絶えず水を流し人口の巨大な濠を作ったのだ。
さらに「秋八月、遣達率答㶱春初、築城於長門国。遣達率憶禮福留・達率四比福夫、於筑紫国築大野及椽二城。」*1とあり、大野城と基肄城を翌年の天智天皇4年(665年)に築城した。
大陸から大宰府を守ると同時に、もしも敵に深くまで侵入された場合は、役人・要人を籠城させるための施設であった。水城の築城から一年遅れての設置である。


所在地福岡県太宰府市・大野城市・糟屋郡宇美町
現存状態土塁・石塁・水門・城門・建物跡・水溜め
城郭構造古代山城(朝鮮式山城)

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 日本書紀の説明要る? さすがに聞いたこともないって人は教養がないし、注釈もあんまり説明になってないような。 -- 2017-05-27 (土) 21:41:40
  • 注釈自体消しますか。あまりにも投げ出しすぎだし -- 2017-05-27 (土) 21:44:13
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*1 訳:達率答㶱春初を遣わして、城を長門国に築かしむ。達率憶禮福留・達率四比福夫を筑紫国に遣わして、大野および椽(基肄)、二城を築かしむ。


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