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向羽黒山城
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現実の城情報 Edit

蘆名氏の最盛期を築いた蘆名盛氏によって、永禄4年(1561年)から同11年(1568年)にかけて築かれた。会津盆地の四方を見渡す白鳳三山のうち、中央の羽黒山に向かう岩崎山(向羽黒山)に築かれ、東側は阿賀川が流れている。城下には関東に通じる下野道が通り、阿賀川によって会津盆地北部にも通じる交通の要衝だった。
『新宮雑葉記』によると永禄6年(1563年)の熊野新葺替の棟札に「当時屋形盛氏」とあり、翌年の勝福寺鐘銘に「隠居盛氏」とあることから、この時期に子の盛興に家督を譲って隠居し、向羽黒山城に居城を移したとされる。
向羽黒山城は盛氏の隠居城と伝わるが、盛氏は隠居した後も政治・軍事・外交の実権を握っており、天正2年(1574年)に盛興が急死すると二階堂盛隆を養子に迎えて蘆名氏の家督を継がせた。盛隆は蘆名氏の本城である黒川城に在城し、盛氏の向羽黒山城は黒川城の詰城としての役割も担っていたことが確認されている。
『新編会津風土記』には勝常寺の僧覚成が向羽黒山城を称えて詠んだ漢詩があり、それによると向羽黒山城は「実城」「中城」「外構」の構造で、堀と土塁が幾重にもめぐり、門と垣根が櫛の歯を並べたように斜面に並び立っていたという。
天正6年(1578年)頃に北条氏政が出した文書は「岩崎」宛てとなっており、向羽黒山城の盛氏に宛てられたものとなっているが、天正8年(1580年)1月の小峰義親宛書状からは政治・軍事・外交権を盛隆に譲ったことがうかがえる。


所在地福島県大沼郡会津美里町瀬戸町
現存状態石垣、土塁、堀など
城郭構造山城

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