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兼山城
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現実の城情報 Edit

「攻めの三左」森可成や「鬼武蔵」森長可ら、森氏が居城としたことで知られる、美濃の代表的な織豊系城郭。
天文6年(1537年)に斎藤道三の命で斎藤正義(妙春)が烏峰城として築いたのが始まりで、烏峰城の南側に位置する久々利城を本拠とする久々利氏の土岐悪五郎によって妙春が謀殺されたのち、長井道利が城主となった。
尾張の織田信長が永禄6年(1563年)に清洲城から小牧山城に居城を移して美濃侵攻を本格化させると、翌年に烏峰城は攻略された。
信長は中濃を平定したのち、烏峰城を家臣の森可成に与え、この時可成は烏峰城を金山城に改称したという。
金山城は北側を流れる木曽川に兼山湊が置かれ、南側を東西に中山道が通るという商業・交通の要衝であったため、森氏は金山城を本拠として東美濃を統治した。


所在地岐阜県可児市兼山
現存状態移築門、石垣、土塁、堀など
城郭構造梯郭式山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • これがDQN筆頭の城・・・はっちゃけたキャラになるな -- 2017-07-08 (土) 22:37:39
  • 充実してきた!イイネ -- 2017-07-08 (土) 22:52:57
  • 『敦盛2011』では「武田勝頼討ち取ったら城持ち大名になりたいな」と歌われているし、5万石与えられたのが事実なら、「城持ち」ではなく「城持ち大名」とまで言い切っていいよな?と思いつつ、通説がどうなっているのか分からん。『信長公記』の通り金山城が与えられたところまでは事実な気がするけど、5万石とは書いてないな……。 -- 2017-07-08 (土) 23:07:12
    • より詳しい殿の登場に期待やね -- 2017-07-08 (土) 23:09:55
    • まあ、東美濃5万石の領国を与えられたのは事実っぽいか。そのまま引き継いだ感じだもんな。 -- 2017-07-08 (土) 23:12:27
      • 考察乙ですー、新情報が出てきたら反映させていきませう -- 2017-07-08 (土) 23:17:31
    • 雑談掲示板でも片倉小十郎が大名ではないと言う人がいたけど、1万石超える藩主は大名なので(ただし、これは江戸時代の基準だし、普通は3万石以上ないと経営は難しい。ただ戦国時代でも5万石なら大名と言い切っていいかと思う)、そこらへんはっきりさせたいので、あえて基準を書きつつ直しました。 -- 2017-07-08 (土) 23:23:24
      • 「戦国時代には、1万石以上の領地と城を持っているからと言って、即座に城持ち大名というわけではない」と本文中には基準を書かなかった理由を説明したんだけど、追記するのか……。それとも、本当にそんな基準あるでしたっけ? -- 2017-07-09 (日) 09:00:01
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