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佐東銀山城
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現実の城情報 Edit

佐東銀山城(さとうかなやまじょう)は山陽道と瀬戸内の水運が集積する安芸の経済の中心地であった古市や今津を見下ろす標高410メートルの武田山に築かれ、山頂の主郭と周囲の尾根に張り巡らされた50以上の曲輪が特徴的な連郭式山城である。また、枡形の原型ともいえる構造も見られる。
新羅三郎義光を祖とする甲斐源氏は宗家武田氏を中心として治承寿永の乱において源頼朝に協力するも、その後、時の当主武田信義やその子の多くが粛清される中、信義の五男信光は甲斐守護に任ぜられ武田氏嫡流の地位についた。
信光は承久の乱において活躍、その功によって安芸守護職に任ぜられ佐東郡に守護所を置いた。以降、武田氏嫡流は安芸守護職を継いでいったとされ、鎌倉末期には当地に定着したとされる。これが安芸武田氏の始まりとなる。
佐東銀山城は元寇などによって鎌倉幕府の体制がゆらぎ始めた頃に武田信宗によって本格的な築城が行われたとされるが、異説もある。


所在地広島県広島市安佐南区祇園町・山本町
現存状態曲輪、石垣、堀切など
城郭構造山城

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