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二子城
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現実の城情報 Edit

鎌倉時代から陸奥和賀郡を支配した和賀氏の室町時代から戦国時代にかけての本城で、飛勢城とも呼ばれる。二子の地名は八幡神社のある八幡山と秋葉神社がある秋葉山が並び立って見えることが由来という。
「二子城」の名前は15世紀半ばから見えるようになる。この頃和賀氏の宗主権は北上川東岸を本拠としていた惣領家から、北上川西岸を本拠としていた一族の鬼柳氏に移り、北上川以西の勢力が強くなっていた。
そのため和賀氏は本格的に北上川以西への支配を強化するため本拠を北上川西岸の二子城に移したとされる。そしてこの和賀氏一族間の争いは永享7年(1435年)に北隣の稗貫氏を巻き込み和賀郡・稗貫郡を舞台とする争乱に発展した。これには南部義政が北陸奥の諸氏を動員し、さらに斯波氏や奥州探題大崎氏も絡み、翌年になってようやく終息した。
天正18年(1590年)の豊臣秀吉による奥州仕置で和賀氏は所領を没収されたが、同じく所領没収となった稗貫氏とともに和賀・稗貫一揆を起こし二子城を奪還した。しかし翌年の奥州再仕置で蒲生氏郷によって二子城は攻略され、天正20年(1592年)の「南部領内諸城破却書上」には「二子 平城破」と記され、二子城は破却されたことがわかる。


所在地岩手県北上市二子町
現存状態堀、土塁など
城郭構造平山城

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