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中尾城
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現実の城情報 Edit

京都東山、慈照寺銀閣の裏山に築かれた、室町幕府第13代将軍足利義藤(義輝)・前将軍足利義晴父子の城。
一般的に中尾城を指すとされる山頂の山城と、北西に約250メートル離れた地点にある大出山城と呼ばれる館城から構成され、城の北側には京と大津とを結ぶ山中越が通り、主郭付近からは京都盆地を一望できる。
中尾城が築かれたのは『厳助往年記』によると天文19年(1550年)2月15日で、その前年に室町幕府の管領・細川晴元が三好長慶に敗れ、晴元が擁立していた義晴・義藤父子は近江坂本に逃れた後、近江から京への入口にあたるこの地に城を築き京奪還の足がかりとしたのだった。
しかし同年7月から長慶の攻勢が強まり、義藤は晴元や六角義賢の支援を得て抵抗したが劣勢となり、11月には中尾城に火をかけて近江堅田へと逃れた。この一連の戦いで三好勢は鉄砲を使用したとされ、中尾城でもで堀切と壁の間に「鉄砲用心」のために石を入れたという記述が『万松院穴太記』に残っている。
『言継卿記』の同年11月21日・23日の記録によると、三好勢が入洛した際に中尾城は徹底的に破壊されたといい、長慶と対立した将軍の城という中尾城の性質を物語っている。

所在地京都府京都市左京区浄土寺大山町
現存状態堀、土塁など
城郭構造山城

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