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下津井城
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現実の城情報 Edit

瀬戸内海における海上交通の要所である下津井港を押さえる、総石垣造りの近世城郭。
戦国時代末期、備前を支配した宇喜多氏にとって領国支配の拠点は岡山城だったが、瀬戸内水運を押さえるために外港として下津井を確保する必要があり、下津井城は重要な支城として位置づけられた。
下津井城を築城、あるいは改修したのは宇喜多秀家で、文禄年間(1592~1596年)のこととされる。関ヶ原の戦い後に岡山城主となった小早川秀秋も下津井城を重視し、重臣の平岡頼勝を入れた。
秀秋の急死により小早川氏が断絶すると、姫路藩主池田輝政の次男忠継が岡山藩主となり、輝政の弟で赤穂城代だった長政が3万2000石で下津井城に入った。
長政は慶長8~12年(1603~1607年)にかけて大改修を行い、下津井城は大規模な曲輪や高石垣を備え、天守をはじめ瓦葺建物が林立する近世城郭へと生まれ変わった。


所在地岡山県倉敷市下津井
現存状態石垣、土塁など
城郭構造連郭式平山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • あ、先越されたw -- 2018-07-12 (木) 02:15:15
    • 順番とかあったん?まあwikiなんだし、書きたいこと好きに書けばいいと思うよ -- 2018-07-12 (木) 07:33:02
      • 書こうと思ってたら先に書かれたってだけで別に順番がどうって話ではないっすw -- 2018-07-13 (金) 02:29:09
  • ここってけっこう有名な城なん? -- 2018-07-13 (金) 06:09:58
    • いや、有名じゃないよ。知る人ぞ知る城 -- 2018-07-13 (金) 08:38:48
  • ん?実装されるの?(地元民) -- 2018-07-13 (金) 12:45:51
    • んにゃ、この城に思い入れのある殿が先を越されて悔しがってるだけ。でもそれだけ良い城なんだろうね、実装には期待できそう -- 2018-07-13 (金) 12:49:09
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