Top > 三雲城

三雲城
HTML ConvertTime 0.078 sec.

現実の城情報 Edit

長享元年(1487年)、六角高頼が三雲典膳実乃に命じて観音寺城の詰めの城として築かせた。
はじめは吉永城と呼ばれたが、実乃のあとを継いだ行定が改修すると、三雲城と改められたとされる。
三雲氏は甲賀五十三家に数えられ、9万石の領地が与えられていたといい、その所領高には疑問が残るものの、六角氏からの厚い信頼を寄せられていたと言える。
また、真田十勇士として知られる猿飛佐助には架空説と実在説があるが、歴史小説家の司馬遼太郎は「三雲新左衛門賢持の子、三雲佐助賢春が猿飛佐助である」としており、事実であれば三雲城は猿飛佐助の故郷の城ということになる。


所在地滋賀県湖南市吉永字城山
現存状態曲輪、土塁、石垣、堀切
城郭構造山城

コメント Edit

コメントはありません。 Comments/三雲城? 

お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS