Top > 一栗城

一栗城
HTML ConvertTime 0.073 sec.

現実の城情報 Edit

室町時代末期、大崎氏の家臣・一栗高春が築き、中館には高春が、西館には祖父の放牛が居住し、深い谷や断崖で防備を固めたという。
天正18年(1590年)には豊臣秀吉による奥州仕置により主君の大崎氏や、葛西氏が改易されると、代わって木村吉清・清久父子が治めることとなった。
しかし、吉清が厳しく年貢の取り立てや刀狩りを行なうと、葛西氏・大崎氏らの旧臣は葛西大崎一揆と呼ばれる一揆を起こし、蒲生氏郷と伊達政宗が鎮圧にあたることとなった。
高春ははじめ一栗城に籠り政宗を迎え撃とうとしたが素通りされ、政宗が一揆煽動の容疑により氏郷・木村父子らを伴って帰京すると、その隙に放牛とともに佐沼城を占拠した。
政宗が再度出陣すると放牛は数え年で92歳という年齢で討死、高春は落ち延びると最上義光に仕えたと言い、一栗城も廃城に、木村父子は一揆を起こした責で改易となった。

所在地宮城県大崎市岩手山下一栗宿
現存状態なし
城郭構造平城

コメント Edit

コメントはありません。 Comments/一栗城? 

お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS