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ティフォージュ城
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現実の城情報 Edit

ナントとポワチエを結ぶ街道にティフォージュ城は築かれた。ナントの地はアンリ4世の「ナントの勅令」(1598年)でよく知られた街である。
ジル・ド・レ侯爵が居住していた城として有名だが、別名を「靑髭の城」*1ともいう。目立った特殊性もなく伝統に則った風貌がかえって個性に思える造りである。
南東の塔(キープ)は12世紀に築造され、様式はロマネスク様式であった。焼失にあったり、有用性が失われた末に解体されたりもしたが城壁や城門のもろもろはまだ残っている。
塔はもともと高さを24メートルとしていたが測定した結果せいぜい18メートル程度であったようだ。特徴としては角部に設けられた平坦なコントルフォール(バットレス)が挙げられる。
コントルフォールは壁体を支持するために設けられた突出部であり、日本では「控え壁」の方が馴染みはあるだろう。


所在地château de Tiffauges, 85130 Tiffauges, フランス
現存状態一部現存
城郭構造平城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • おお・・・ジャンヌぅぅぅーーー!!! -- 2017-07-15 (土) 17:24:23
    • マジで一旦はジャンヌとともに国を救って本人も真っ当になりそうだったところを、その国が自分の崇拝する相手を殺すことに加担して絶望したって人やからなぁ。そのうちジルドレ自体が兜で出てくるやろか・・・ -- 2017-07-15 (土) 19:57:02
    • ジャンヌ 良い旅を -- 2017-07-16 (日) 00:03:06
  • シノンの次はこいつかな。 -- 2017-09-14 (木) 19:46:37
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*1 シャルル・ペローが執筆した童話「青髭」のモデルがジル・ド・レと言われていることに由来する
*2 ジル・ド・レ処刑後のカトリーヌの再婚相手
*3 1920年にローマ法王庁から聖女の認定を受けているが、彼女への異端審問ならびに魔女裁判は間違いだったという謝罪がないため、彼女は聖女にして魔女という矛盾した存在となってしまった


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